【附属池田小事件】逃げた教師「岩崎真季」の現在は?生き残りの証言や宅間守の生い立ちから真相を追う

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日本国民の脳裏に焼き付く悲惨な事件「附属池田小事件」で、なんと子どもを守らずに逃げた教師が居たことはご存じですか?

宅間守が起こした附属池田小事件の真実を明らかにします。

逃げた教師である岩崎真季の現在や宅間守の生い立ちなどに迫ります。さらに、岩崎真季が辞職した後の心情や事件の余波を受けた生存者たちの現在の様子なども紹介します。

事件の背後にある真相やこれまで語られてこなかった事実に迫ります。

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附属池田小事件とは?

8名の児童が惨殺された附属池田小事件は、大阪教育大学附属の池田小学校で起きた一連の無差別殺人事件です。この事件では、残虐な犯行に加えて、「逃げた教師」として批判を浴びた宅間守についてもさまざまな疑惑があがりました。

本記事では、附属池田小事件の概要、犯人の生い立ち、事件のその後について紹介します。

附属池田小事件の概要

この事件で狙われた子供たちによる苦痛な出来事は、「サイコパス」と「反社会的人格」の要素が明確に表出している凶悪な男によって引き起こされました。その男の名前は「宅間守」であり、残忍で恐ろしい行為と残した傷跡から、その名前は世界中で忘れられることはないでしょう。

犯行を時系列で

6月某日、水曜日であり、平日でした。働く大人たちは仕事に出かけ、学生たちは勉強のために学校に通っていました。いつもと同じ朝でした。時刻は午前10時ごろで、当時の小学校では2時間目の時間帯だったと考えられています。恐ろしい犯行を計画していた凶悪な犯人は、自身の「出刃包丁」を手に入れ、小学校に向かいました。

現在では、学校の門や入り口は、登下校の時間でない限り閉じられていて、入ることはできませんが、当時はまだセキュリティは厳しくありませんでした。そのため、凶悪な犯人は簡単に侵入を許され、校舎に入ってしまいました。そして、子供たちに何も知られぬまま、ますます近づいてくる悪魔の手が彼らに迫っていました。

狙いを定めた教室があったのかは想像できますが、凶悪な犯人は校舎の東端にある2年生の教室まで廊下を歩いていきました。この時点でいくつかの「教師」やスタッフを通り過ぎたようですが、PTAや子供たちの親族などだった場合、ある程度の先入観が働き、軽く挨拶を交わす程度で何も不自然さを感じませんでした。

教室に到着し入室すると、無垢で無自覚だった少年少女たちは、最初は大きなナイフを持った凶悪な犯人を「給食係の人」と勘違いしましたが、すぐに自分たちの担任教師と違うことに気付き、危険を察知すると、教室を飛び出し、逃げるように叫んで彼らに指示しました。

それによって状況を理解した少年少女たちは、一斉に教室から飛び出しました。建物や教室の典型的なイメージは分かりませんが、おそらく一般的なものでしょう。自然に扉は2つしかなく、幅は子供なら3~4人が並べる程度の狭さです。

数十人の少年少女たちは、逃げ遅れてそこに立ち往生したり、足をつまずかせて転んでしまったりしました。その後、凶悪な犯人は逃げ遅れていた子供に襲いかかり、容赦なく大きなナイフで振り回しました。いくつかの人々は、命にかかわる「重傷」を負いました。

犠牲者は増え続ける

その後も悲劇は続きました。その後、凶悪な犯人は興奮が冷めることなく、南へ向かいました。この時点で「2時間目」の授業は終わったばかりで、担任教師は外の植物に水をやるために外に出ていたため、この教室にはいたのは子供たちだけでした。つまり、無垢な少年少女たちだけがいました。

幸いなことに、凶悪な犯人は次々と少年少女たちに襲いかかり、ナイフを振り回して傷つけました。悲鳴が響く教室で、目の前で同級生や友人に襲われる様子を見た子供たちは、襲われて傷ついた子供が泣き叫ぶ姿を見て、悲鳴を上げました。

教師が立ち向かう

子供たちの心を痛める叫び声を聞いた一人、状況に気づいた2人の男性スタッフが駆けつけ、凶悪な犯人を暴れないように止めるために立ち向かいました。

しかし、凶悪な犯人はためらうことなくナイフを振り回し、大人の男性スタッフと向き合っても抵抗しました。その結果、1人の男性スタッフが致命的な「重傷」を負いました。

1年南組で決着

2人の男性スタッフを抵抗し、教室から逃げ出した凶悪な犯人は、その後、校舎の1階に降りて、1年生の南に位置する教室に入りました。この時点でもまだ興奮しており、さらに無辜な少年少女たちを傷つけようとしていました。彼はなるべく多くの子供たちの命を奪おうとしていたのです。

そこで、前述の植物に水をやるために出ていた用務員が駆けつけ、刃物で切りつけられながらも残忍な犯罪を止めるために必死に立ち向かいました。さらに、その小学校の「副校長」も加わり、ついに凶悪な犯人は逮捕されました。この悲劇は約10分以上にわたりました。

最後の言葉「あーしんど!」

その後、報告を受けた警察官によって逮捕された際、凶悪な犯人は不屈で腐った表情dえ「あーしんど!」と言ったとされ、手に持っていた切り物やスタッフの血のついたナイフを手放すことになりました。

犯人の逮捕時の態度や行動から、その瞬間の凶悪な犯人の態度からは、罪の意識や後悔の気持ちが感じられませんでした。何らかの言い訳や後悔の言葉は聞こえませんでした。不誠実に発せられた捨て台詞のような言葉からでも、異常な「サイコパス」感や「非社会的」な人格を垣間見ることができました。逮捕後の裁判などについては後述します。

教師が戻ってきたとき、教室は血の海となっていた

「報告に行かなきゃ」と言って、自分のクラスの生徒たち、つまり取り残された少年少女たちを気にせずに教室を出て行った女性の担任教師は、そのまま帰ってきた後、本当に報告を終えた後に教室に戻りました。その時点で危険な「凶悪犯人」はもう現れていませんが、傷ついて出血している子供たちは苦悩しているようでした。

さらに、さっきまで何の変哲もない教室は、壁や床、家具に血が飛び散って、「地獄の絵」のような「血の海」となっていました。この悲劇の痕跡を目にした彼女はどう思ったのでしょうか?ショックを受け、絶望し、自分の生徒を守ることができなかったことに対する「罪悪感」で悩まされたかもしれません。

附属池田小事件の裁判判決

事件が発生した時期と場所。凶悪な犯人の具体的な犯行と足取り、逃げ出した生徒や担任教師たちの反応など、できるだけ分かりやすく事件当時の状況について説明しました。かなり恐ろしくて苦痛なテロの10分間だったことは、皆さんもご存知でしょう。この恐ろしい事件で、8人もの少年少女の貴重な命が惨めにも奪われました。

さらに、10人以上の子供や教師が負傷しました。心に大きな傷を負った人々も多くいます。さて、この大きな被害を引き起こし、血も涙もない犯罪を犯した人物である「宅間守」が逮捕された後、どのような判決が下されたのでしょうか?次に、裁判の状況と判決について説明します。

初審判決で目立った宅間守の不適切な発言

裁判が行われ、凶悪な犯人が被告として立たされた際、犯罪の凄惨さに対して反省や謝罪の態度を示すことなく、被害者や遺族を挑発するような言葉や行動を見せました。何度も人格を汚す「不適切な発言」を繰り返してしまいました。被害者の遺族や家族に対しては、「判決が変わらなくても、死刑が決まっているのにわざわざ裁判に来た忌まわしい方々」

被害児童に対しても「死んだ後もあの子たちを襲い続ける」といったような言葉を発しました。これに対して、裁判に来た被害者の遺族や家族も反発し、非常に高まってしまい、「暴言」が飛び交う状況になってしまいました。一連の犯行の「動機」は以下にまとめました。

動機について

この後、犯人の生い立ちや過去に触れて説明しますが、少年の頃から裕福な家族や才能にあふれた「エリート」的な暮らしを送る人々に嫉妬やコンプレックスを抱いていました。また、自分の人生はうまくいっていなかった上に、元妻や社会のせいだとして責任を転嫁し、復讐しようと考えていました。さらに、自殺願望もあり、いずれ死ぬのであれば、無実の人物を巻き込みたいという意欲を抱いていました。彼には「仲間」が欲しかったのです。そのため、将来の可能性が無限である子供たち、すなわち小学校に通うことができる「子供たち」を標的にし、命を奪うための犯罪を計画しました。

初審での発言の意図

さらに、初審の際、凶悪な犯人は、無差別に無実の一般市民が駅やキャンパスで殺傷された街の鬼事件である「下関事件」を「社会」を非難しようという動機で、模倣したいと考えたとして、犯行全般の動機を語りました。この下関事件は平成11年に発生し、事件当時は連続した災害を起こした犯人によるものです。

裁判の傍聴希望者が殺到し、傍聴のために特別措置がとられました

今回お話ししているようなセンセーショナルな人々だけでなく、物理的に負傷した人々や家族、子供たちの命を失った遺族だけでなく、学校関係者、悲劇的なトラウマを経験し心的外傷を受けた多くの生徒や保護者も関与しています。多くの人々が関与しました。

多くの被害者や関係者だけでなく、一般市民やマスメディアも、自分の目で裁判の状況を見たり、聞いたりするために詰めかけた人々がたくさんいました。その数は1000人から2000人に上りました。そのため、裁判所はこの異常な状況に特別な措置をとり、裁判所ではなく、カメラで状況を映し出すスクリーンのある別室で多くの人々が傍聴できるようにしました。

宅間守は知的障害を装っていたが死刑判決が下された

逮捕直後の取り調べでは、凶悪な犯人は、自身が侵入し、悲劇の舞台となった「小学校」をなぜか「駅」と思っているという発言をし、取り調べ室の硬い壁に頭を打ち付けるなど、さまざまな独特な行動を見せました。実際には、これらすべては精神的な異常を持つ人々の「演技」であり、装っていただけでした。

実際、凶悪犯罪者が精神的に病気や「知的障害」と認められると、責任問題について問われることはなく、罪の処罰が軽減されるという「ノウハウ」があると私は知っていました。後述しますが、繰り返し犯罪を犯し、逮捕や刑罰を免れることなく逃げてきました。

演技だということが明らかに

警察の厳しい追及と取り調べに対して、凶悪な犯人はついに怪物の皮をはいて本性を表しました。この時、凶悪な犯人は後悔のために泣いたとされますが、それが後悔や謝罪のための涙ではなく、最後まで演技することができなかったために泣いたということのようです。平成15年の夏、「死刑」が実行され、本人や周囲の人々の予想通りの結末となりました。

宅間守は初審で反省の姿勢を見せた

自分の担任の教師と副校長に拦截され、警察によって現行犯で逮捕され、その後の取り調べや裁判では、自分が犯した重大な犯罪、貴重な命を奪い、多くの少年少女を傷つけたことに対する「反省」の気持ちが一切見られませんでした。当然のことながら、被害者の遺族や犠牲者、関係者の誰に対しても「謝罪」の気配はありませんでした。

ただし、初審の時だけは反省の姿勢を見せたようです。おそらく、担当の弁護士からの指示やアドバイスがあったからでしょう。その後も「死刑」が執行され、彼が亡くなるまで、終始反省や謝罪の態度はありませんでした。焦点は「宅間守」という、凶悪な犯人とされ、社会的なセンセーションを引き起こし、問題となりました。

最後に言わせろ!!

宅間守は死刑判決を受けると、「最後に言わせろ!!」としてとんでもない発言を残しました、とネット上では言われています。

しかし2ちゃんねる等に書き込まれたこういった発言はデマであることが明らかになっており、実際には「最後に言わせてーな」と発言した所、裁判官に「本日の発言は認めません」ときっぱりと切られたようです。

附属池田小事件の「逃げた教師」は「岩崎真季」

凄惨な事件で、世間を騒がせた凶悪殺人犯に注目が集まりましたが、逮捕後の不適切な態度や問題発言などにより、ある疑惑が生まれた一人の女性教師も注目を浴び、叩かれ問題視されることとなりました。

被害にあったはずなのに実名公表はなぜされたのか

彼女は元々事件に関わる(被害にあった)人物なのでは?と思いますよね?

それなのに、なぜあの事態が全国に知れ渡るほどに実名公表されたのでしょうか。ある歴史的背景が大きな影響を与えたと考えられます。当時、今や当然となっているインターネットやパソコンが広まり始めていました。

「7分の空白」という存在から「逃げた教師」と呼ばれるようになった

彼女の証言によれば、彼女は子供たちに簡単に逃げるよう指示した後、子供たちを置いて教室を先に出て、 「警察に報告しなければ」と思って現場を去ったと言います。

つまり、迅速に警察に報告するために、電話をしたと解釈できます。

しかし通報に7分もかかるとは思えません。その間に生徒は恐ろしい被害に合っていました。そう、彼女は逃げ隠れていたのです。

分からない点もある

彼女は同じ校舎の「職員室」へ向かっている最中です。当然、急いでいたはずであり、そして「早く」対応しようとしていたはずなので、規則によれば走らないように注意されている廊下を急いで進んでいたはずです。もし、そうだとすると、1.2分後に報告することは可能だったのではないかという疑問は避けられません。

「怖がって逃げ出したのではないか」という一般市民からの批判を受ける

彼女が証言したように、彼女が「警察に報告するために」教室を出たのだとしたら、自分の担当していたクラスの生徒、男女の子供たちを危険がすぐそばに迫っている現場に置き去りにしたという事実があります。

岩崎真季は事件後、引退し、6か月後に心の内について語った

彼女は公衆からの非難を受け続けていますが、彼女は事件の犠牲者の一人でもあります。彼女の心には大きな傷がついていて、心配や苦悩、恐怖によるストレスを経験していたことは疑いありません。

6か月後に「逃げた教師」として告白

私は教師でありながら、あの子供たちを守ることができませんでした

後悔しても後悔しきれません

本当に申し訳ございません

わけのわからない謝罪の言葉が見つかりません

生きていけるのか不安でなりませんでした1.2分では判断できませんでした。

他の教師たちは命を懸けて子どもたちを守る為に犯人と戦った中、自分は怖くて逃げて隠れていたのです。

これは子どもたちの親御さんからすると、許せませんよね。

とはいえ一人の人間として、命を守りたいと考えることは当然ですので関係の無い第三者が「逃げた教師」の「岩崎真季」を責めて良い理由にはなりません。

附属池田小事件での23人の死傷者と生存した生徒

凶悪な殺人犯は、2限目が終わり、授業が終了した後に小学校の敷地に入り、数教室を移動しながら残虐な子供たちを対象に、ナイフを振り回して恐ろしい犯行を行いました。その結果、多くの犠牲者が出てしまい、恐ろしい状況となりました。

附属池田小事件で亡くなった8名の児童

この凄惨でセンセーショナルな事件で、無残な光景が広まってしまったことにより、8名もの幼い男女の生命が奪われてしまいました。現地調査や証言などにより明らかになったが、全員が凶悪な殺人犯に襲われ、ナイフで刺されたり切りつけられたりし、即死ではなかったとされています。

附属池田小事件で負傷した13人の児童と2人の教師

凶悪な殺人犯によって、ナイフで切りつけられたり刺されたりした「被害者13人」がいます。そのうち2人は、彼らの凶悪な犯行を止めようとして立ち向かい、命を救いました。しかし、傷や後遺症が残る人が多くいます。

生き残った他の生徒たち

彼らは凶悪な殺人犯から魔の手を逃れ、生き残った幸運な男女の子供たちも、「悔い」や「後遺症」といった生存者特有の心理状態により、心理的なダメージを受けました。当然、現場となった小学校にいた教師や職員もトラウマや悲劇を経験しており、ストレスによる精神的な苦痛や精神疾患に苦しむ人もいます。

附属池田小事件では当時、トイレに隠れて助かった生徒もいた

凶悪な殺人犯が教室に侵入してきた際、必死で逃げようとする子供たちの中には、校舎内に設置されたトイレに逃げ込んでただ隠れて、事なきを得た生徒たちもいました。

附属池田小事件の被災家族は、子供へ手紙を書きました

今回紹介する恐ろしい事件で、愛する子供の命を失った被災家族は、亡くなった子供への「手紙」を書きました。その内容は非常に残念で心を痛めるものでした。「また会えるのを待っていたよ」とか「毎日一人寂しくて死にそう」といった内容が書かれており、多くの寂しさや悲しみ、苦しみなどが伝えられています。

附属池田小事件により学校安全対策が変わった

センセーショナルな事件が起きた当時、事件による緊急事態への対応方法についての「マニュアル」がなく、事前に状況を適切に処理する動きもありませんでした。さらに、現在一般的になっている「監視カメラ」や「警備員」も設置されていませんでした。

附属池田小事件の後、安全対策が強化されました

この事件をきっかけに、小学校だけでなく中学校や高校、そして幼稚園など、多くの子供たちや児童が集まる施設で、警察のパトロールが入り、停車することを示す「プレート」や「ステッカー」を設置することで、セキュリティの面や安全対策を見直し、強化する動きが広まりました。

教職員が犯罪予防や救助活動について学ぶ

システムや設備の見直しは、今回のセンセーショナルな事件をきっかけに行われたカウンターメジャーだけではありません。我々人間である教師や職員のあり方も再び見直されています。学校の適切な対応がされず、迅速な対応や治療に繋がらなかった特定の疑惑も、公衆から「批判」され問題視されることとなりました。

附属池田小事件を生き残った子供たちの現在の状況

当時から現在まで、センセーショナルな事件が引き起こされ、多くの人々を震撼させました。惨事は複数の教室や校舎で繰り広げられ、現場に留まってしまった多くの男女の子供たちがいます。凶悪な殺人犯から逃れて生き延びた子供たちは、現在どのように生活しているのでしょうか?

附属池田小事件は被害者に大きなトラウマを与えた

実際にナイフで切りつけられ、刺され、意識を失い重体となった被害者の一人である女の子がいました。当時、彼女は入院中の病院で、家族や医師の配慮により、事件から遠ざけられ、病院飛び出しを防ぐために、その日の様子を断片的にしか覚えておらず、彼女自身も自分やクラスメイトや友達が攻撃された場面を思い出せないという状況でした。

それ以降、彼女は過去に救われた家族や医師に深く感謝し、人々のために有益な「仕事」に就いて頑張っているようです。

15年後に児童へのインタビュー

今から3年前、平成28年6月には、日本放送協会(NHK)の人気ドキュメンタリー番組「クローズアップ現代」で、大きなセンセーションを集めた恐ろしい事件から15年後、事件の被害者(関係者)である児童たちや生存者にインタビューし、マイクを向けました。インタビューに答えた人々は、モザイクなしの「仮名」で登場しました。

逃げた教師「岩崎真季」の現在の噂

前述の通り、一部の疑惑が浮上し、世間から非難され、バッシングを受け、さらには実名さえも明かされた女性教師は、事件の後長い間退職しています。彼女も被害者であり関係者なので、もちろんその後のことは発表されたり公表されたりすることはありません。

しかし、彼女は世間の注目を浴び、しばらくしてから再び教師に戻っているのではないかという憶測が飛び交っています。その憶測によれば、彼女の実名を検索して現在の状況を探ろうとする人も少なくありません。ここでは、2019年令和時点の彼女の「噂」を紹介します。なお、前もって噂されたため、真実はわからないのでご注意ください。

岩崎真季は精神的に病んでいるとの噂

彼女はこの事件以降、世間や親からさまざまな非難や批判を受け、巨大な罪の意識にさいなまれていますが、さらに言えば、事件の関係者であり、被害者とも言える存在です。そのため、計り知れない精神的な苦痛を受けたことは言うまでもありません。彼女自身が事件の6ヶ月後に新聞で述べた思いや感情からも、その状況が窺えます。

彼らの心には今でも暗い影が差し、精神的に病んでいる可能性が高いです。忘れたいと思っても忘れられず、本人自身が言ったように、「どれだけ後悔しても、後悔し尽くせない」というのです。さらに、現在でも事件の「逃げた教師」や彼女の実名、事件の詳細や対応策などはインターネット上に投稿され続けています。

岩崎真季は現在副校長との噂がある?

事件の被疑者の精神鑑定を行った方が書いた本には、精神鑑定が行われた際のやり取りや発言が詳細に記されており、当時教室にいた女性教師が逃げずにその場で携帯電話で通報したことを犯人が自白した内容がありますが、これは、誰によってどのように見るかによって実際には「誤った」内容であるという意見もあります。

彼女の血筋や家計が大物政治家や関係者と繋がっているという共通の理論が生まれ、そこから彼女がその「つながり」を利用してどこかで副校長になった可能性が噂されています。もしこの噂が事実だとしたら、「実名」は名前を変えて生活しているとは考えられません。

※注意し、やめてほしい行動

ここで話したことはすべて噂や理論であるため、真実ではありません。また、心配だからといって、無闇に彼女の実名などでインターネット上で検索することは慎重になってください。プライバシーの侵害や不法行為になる場合もあります。

附属池田小事件の犯人、宅間守の生い立ちと死刑執行

「サイコパス」「反社会的」という言葉は彼に強い印象を与え、今回紹介した恐ろしい事件の凶悪殺人犯ですが、彼の悪魔的な行いなどについては、一部または大まかな詳細ばかりが紹介されてきたため、まだあまり詳しくお話ししていません。精神障害を持つ人々の人格や心の形成には、育ちや家庭環境が大きな影響を与えると言われています。

兵庫県伊丹市生まれ、幼少期から異常な行動が見られる

彼は、数えて56年前の昭和38年11月に、阪神地域と呼ばれる「兵庫県」で生まれました。少し遡りますが、まだ母のおなかにいる頃から何かしらの災いやネガティブオーラを感じ取ったのか、「絶対に落としたい」と言ったようです。

生まれてからも、「サイコパス」の片鱗を見せ始め、故郷の近くにある自動車やバイクなどが多く集まる広い道路の真ん中で、「三輪車」に乗って大通りを横切りました。幸い事故には遭わず、ただ交通渋滞を引き起こし、クラクションが鳴り響くなど、軽微な交通トラブルが起きました。

エリートへの憧れと嫉妬

思い出せる範囲では、将来を約束された「優等生」などの「栄誉」「エリート」に対して強い憧れを抱き始め、同時に嫉妬心を抱くようになりました。小学校6年生の頃には、公立の中学校ではなく優れた予備校に通うことを希望していましたが、家族の反対や自分の成績や学力には関係せず、結局は望みが叶わなかったのです。

小学校での問題行動

いじめられていたが、本人はそれ以上にいじめていた

猫や犬などを焼いて殺すなど虐待行為

中学校での問題行動

自身の狂気と不遇を両親に責任転嫁し、母親に対する暴力

他のクラスメイトを「○○様」と付けていじめる

気になる女子生徒の弁当に体液を注ぐ(成人後に告白)

宅間守、技術高校に進学するも教師に暴行し退学

どのようにして何時頃学校を中退したかについては、さまざまな意見があるようですが、彼が高校1年生になったばかりの頃から、再び「問題行動」が始まりました。あるトラブルがきっかけで教師ともめ、その時にその教師に暴力を振るったそうです。

学校は彼を停学処分にしました。この時点では「停学処分」という形で在籍が続いているようですが、停学期間が終わっても学校に通おうとはせず、「不登校」となり、「退学」したままのようです。彼が在籍していた「技術高校」で、一緒のクラスだったのは、一時的に「まっちゃん」というダウンタウンのメンバーだったという噂もあります。

宅間守、航空自衛隊に入隊するも強姦未遂で除隊

高校中退直後、憧れていた「航空自衛隊」に入隊しました。実は彼は小学生の頃から、エリートとしての将来や、ビジネスマンや成功した人物としての夢、または公務員である自衛隊員になるというような強い憧れを抱いていました。考えてみれば、これが彼の初世にして、最後の聖地であると言えるかもしれません。

しかし、入隊してからわずか1年以上が経った頃、別の「悪い」行為を犯してしまいました。家庭環境の事情や不満から、家を飛び出した未成年の少女を彼の暮らす「寮」の一室に連れ込み、「強制的な性行為」にまで発展しました。これが発覚し、もちろんルール違反であったため、直ちに「除隊」されました。

除隊後も宅間守は数々の問題行動で15回逮捕され精神科へ入院

再び彼は自らの「仕事」によって蒙ったため、「架空」の病院から飛び出し、「好きなように犯罪行為を犯す」という病んだ行動を繰り返しました。その犯罪行為はさまざまで、女性に対する暴行で逮捕され、強姦や強制性交により逮捕され、他人の乗用車を殴って破壊することによって財産損壊で逮捕され、具体的な持ち物はわかりませんが、窃盗により数度逮捕されてきました。これまでに彼は合計で15件の犯罪歴があります。

精神科に放り込まれる

「軽犯罪」で一度逮捕され、罰を受ける対象となり被告人となった際、彼は病院から飛び出し、とんでもない行動を起こし「奇行を起こした」とされるため「精神鑑定」を受けることになりました。その結果、「精神的に異常な人物(精神疾患)」と診断されました。これによって、彼は責任を負う能力がないとされ、刑事罰や事件として成立させることができず、犯罪から逃れることができました。

彼はこの機会を利用して自分の嗜好に合わせ、好き勝手な犯罪を犯しまくり、病気の振りをして何度も逃げ切ってきました。そのため、今回紹介した事件でも、逮捕直後にわざと奇妙な行動をとり、狂気じみた振る舞いを演じていました。

宅間守の父によって服役後に縁を切られる

後に彼の性格がどのようなものだったかは詳しく説明しますが、父親は非常に威厳のある人物でした。子供の頃から彼が「奇行」や「問題行動」を繰り返していたにもかかわらず、子供であるが故に目を瞑っていたのかもしれません。

成人した息子がある「強姦事件」を起こした際、彼女等が我慢の限界に達したと言うのか、もしくは血筋や家系などの公的な身分に気を使ったのか、彼自身は関係ないと言い切り、「縁を切った」と訴えたのです。今回紹介したセンセーショナルな事件が発生した後、取材班や報道陣によるインタビューを受けた際に、「縁を切ったから問題ない」と主張したとのことです。

宅間守、医者を装って女性との強制結婚を図るがバレて離婚

これまでの育ちや経歴の詳細を読んでいただければ、彼の欲望はサイコパスの性格としての特徴として強いものであり、その中でも特に「性欲」が強く、何度も性犯罪や卑猥な「問題行動」を引き起こしてきました。ある時、彼は看護師として働く女性との性交を持ちたいという強い欲望が沸き起こりました。

どこから手に入れたのかはわかりませんが、その「看護師」の資格を持つ人物の個人情報を含んだ本やリストのようなものを手に入れた彼は、その個人情報に書かれている電話番号を、そのまま自分のものとして電話をかけるだけでした。

初婚

その後、初の結婚相手(10歳以上年上)と知り合い、泌尿器科医を装って結婚しました。しかし、すぐに情報の誤りが明らかになると、裁判にかけられて強制的に離婚させられました。初婚はわずか「2週間」で終わりました。

宅間守、転職しながら4回結婚・離婚を繰り返す

その後、仕事の転職を繰り返しながら、結婚と離婚を約4回繰り返しました。2度目の離婚直後には、初婚からほぼ1か月も経たないうちに、再び結婚相手(10歳以上年上)と交際し、意気投合したようで、これがまた半ば強引に結婚されました。2度目の離婚相手の姉は有名作家であり小説家であり、彼女自身も「高学歴」でした。

彼は再び転職し、2度目の結婚相手の「出身地」や「商社」などを利用し、公務員である「バス運転手」として働くことになりましたが、この間、次々と「問題行動」や犯罪を犯し逮捕されていきました。バス運転手も解雇され、2度目の結婚相手にも見捨てられたという状況に陥りました。

3回目・4回目の結婚と離婚

前述の通り、彼は「婚活パーティー」に参加し、3回目の結婚相手と出会います。彼女は彼がとても気に入った女性だったのか、大胆で過激な言葉でプロポーズされ、半ば強引に結婚されました。また、離婚後も何度もストーカー行為を繰り返し「トラブル」を引き起こしました。彼女の元妻であると自供している動機によれば、彼女は彼の3度目の結婚相手と考えられています。

4回目の結婚相手とは「婚活パーティー」で出会い、元々パートナー自身は結婚を意図していなかったが、子供が生まれたことから「完成婚」を果たしました。逮捕される前に、彼は4人の結婚相手と事実婚関係を築いた経験も持っていますが、これは彼の一生における結婚歴だけではありません。それがどういう意味なのでしょうか?

附属池田小事件後、宅間守は刑務所で死刑廃止論者の女性と再婚

彼が望んでいたとおりに「死刑」が言い渡され、死刑囚になった後、キリスト教徒の女性が彼のことを知り、彼に惹かれました。なぜ、彼のような血も涙もない悪党に惹かれたのでしょうか?それは、彼女が学生時代に激しいいじめに遭い、誰からも迫害されていたことが原因で、社会から排除された彼と関係を持ち、彼に恋をしたのです。

本来、彼女のタイプの男性は、非行に走ったり、怪しいことに首を突っ込むような悪党だったかもしれません。また、彼女はキリスト教徒でありながら死刑反対論者である人物であり、その影響も感じられるかもしれません。

未曾有の刑務所での結婚

当初彼は彼女とも関わりませんでしたが、彼女の熱心なアプローチにより、徐々に彼の心は開かれ、何度も手紙のやり取りをするうちに、ついには「刑務所での結婚」まで進展しました。さらに、この時に姓まで変更されました。

宅間守の結婚歴と現在の状況

彼は最も彼を理解してくれるのかもしれないクリスチャンの女性と「刑務所での結婚」をしましたが、彼は迅速にこの世から去り、死ぬことへの願望は変わりませんでした。彼は、国のトップや法律に訴える意向はないものの、「6ヶ月以内」に死刑が執行されない場合は国家や法に対して上訴する方針を、彼の弁護士を通じて表明しました。

彼が望んだ通り、死刑は非常に早期に執行され、最後の瞬間が来たとき、彼はタバコと飲み物を飲み、クリスチャンの妻である現在の妻に「ありがとう」と一言言い、この世を去りました。最後の最後まで、被害者や遺族、心に大きな傷を負わせた関係者に対する謝罪の言葉はありませんでした。

附属池田小事件の被害者の追悼式典

2019年現在でも、この記事のテーマである恐ろしい事件によってその記憶が強く刻まれた多くの日本人がおり、風化せずに関心を引き続けています。事件が発生した小学校で毎年追悼式典が行われ、「追悼サービス」がさまざまな形で予期せぬ形で行われています。

附属池田小学校で追悼の黙祷が捧げられる

事件が発生した翌年から2019年まで、事件発生時には毎年、「附属池田小学校」で追悼式が行われ、児童の安全と健康を祈りながら、8人の貴重な命を奪われたために「黙祷」が捧げられています。

FIFAワールドカップで黙祷が捧げられる

2001年、この記事のテーマとなっている恐ろしい事件が発生した際には、世界中でサッカーの「FIFAワールドカップ」が開催され、日本対フランスの試合が事件の2日後に行われました。そのため、命を奪われた8人の少年少女たちに対して、試合が始まる前に静かな黙祷が捧げられました。

宇多田ヒカルが制作した追悼の歌

宅間守によって命を奪われた少年少女の中には、平成を代表する日本の音楽シーンに大きな影響を与えた宇多田ヒカルの熱狂的なファンもいました。それを知った彼女は、ファンである被害者たちのために「歌」を制作し、それが追悼の歌になりました。

附属池田小事件の被災者に焦点を当てた作品

この記事のテーマである事件では、「サイコパス」や「反社会的」な性格を垣間見せる犯人や事件そのものに焦点を当てた「作品」がいくつかありますが、中でも「被災者」に焦点を当てたセンセーショナルな作品を紹介します。

犯罪被害者支援とは何か

この作品では、事件を生き抜いた被害者や、彼らを支えたカウンセラーや専門家が協力して、事件の痛みや被害、その後の後遺症や心理的なダメージなど、関係者だけが知ることのできる事実を普及させるために、その時から現在までの被災者のもう一つの側面を明確に理解することができます。

附属池田小事件に類似した事件

この記事のテーマである恐ろしい事件と同様の内容の事件が日本で発生しています。2019年令和を迎えたばかりの今年でも、惨劇が繰り返されています。

類似事件① 寝屋川中央小3人殺傷事件

現在から14年前の平成17年2月に発生しました。阪神地域に位置する大阪府の小学校が舞台となり、かつていじめを受けたことへの報復として事件を起こした卒業生によって、当時在籍していた教師と職員3人が刃物で「殺害」され、男性1人が死亡し、女性2人が「重傷」を負いました。

類似事件② 山口・光高校爆発事件

現在から14年前の平成17年6月に発生しました。この事件の舞台は、この種の南西部に位置する「山口県」にある県立高校で、事件当時その県立高校に通っていた3年生の男子生徒が犯人でした。犯罪は、窓を通じて学校建物に何らかの「爆弾」を投げ込み、爆発させるものでした。幸いなことに、誰も負傷はしませんでした。

類似事件③ 京都小学生殺人事件

現在から20年前の平成11年12月に発生しました。舞台となったのは、近畿地方に位置する京都府にある小学校の「校庭」で、犯人は「terukunoru」という意味のないが少しコードに似ている言葉を現場に残し、包丁で校庭で遊んでいる小学2年生を刺し、命を奪いました。

類似事件④ カリタス小の川崎事件

これは今年の5月末に発生しました、2019年令和となった時点での事件です。川崎市の駅前で学校に通うクリスチャンの小学生や教職員を狙い、犯人が次々に襲撃した一連の無差別殺人事件です。約20人が被害に遭い、2人の貴重な命が奪われました。犯人は犯行後に首を切り落として自殺しました。

附属池田小事件は風化してはならない

多くの無邪気な少年少女たちが一人の凶悪な殺人犯「宅間守」によって傷つけられ、命を奪われた非常に恐ろしい犯罪事件であり、今回は「附属池田小事件」を紹介します。この事件は「逃げた女性教師」や、犯人の逮捕後の非情な態度など、さまざまな点から注目を集め、物議を醸しました。現在は、先日「川崎事件」という子供が標的となる事件が発生しています。

これからもこのような事件が起きないようにするためには、私たちはどのようなことを考えなければならないのでしょうか。何を再度行うべきなのでしょうか。そう考えながら、私たちは多くの恐ろしい事件が風化してしまわないようにしなければなりません。命を奪われた8人の子供たち、遺族の皆様、被害者の皆様に心からお悔やみ申し上げます。改めて、皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

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