【茨城妻子六人殺人事件】小松博文の現在は?生い立ちとアダルトチルドレン毒親の闇に迫る

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「茨城妻子六人殺人事件」という名前を聞くだけで悲惨な事件をご存じでしょうか?

2017年10月に自首した犯人、小松博文によって発覚した「茨城妻子6人殺人事件」に関する裁判のその後について、小松博文の生い立ちや妻を含む家族、アダルトチルドレンの問題などを解き明かします。

この凶悪な犯罪で犠牲になった6人の尊い命についても取り上げます。

小松博文の現在はどのような姿になっているのでしょうか?

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小松博文、妻子6人殺人事件の概要

2017年に小松博文は妻6人を殺害し、自宅を放火した後、独りで出頭するという凶悪な犯罪を犯しました。

なぜ、子供たちと遊ぶ姿を見せ、良き父親であった小松博文が、一方で近隣住民とのトラブルを抱え、こんな凶悪な犯行に及んだのでしょうか。事件の真相から、小松博文という人物の詳細をまとめてみました。

小松博文とは何者か

小松博文は幼少期に両親と別れ、20歳まで施設で育ちました。兄弟はいるものの連絡を取り合っておらず、生涯を孤独に過ごしてきました。シングルマザーであった恵と出会い、結婚しました。恵との間には4人の子供に恵まれました。小松博文一家は常陸市のアパートに住む7人家族でした。

しかし、過去のトラウマにより、小松博文は何度も職を転々とし、近年は妻が稼いだお金を軍資金として自身の趣味であるパチンコや車いじりに浸る生活を送っていました。

小松博文による「茨城六人殺し放火事件」の概要

なぜ小松博文は自らの家族を次々と殺害し、自宅を放火するという恐ろしい事件を引き起こしたのでしょうか?この痛ましい事件は犯人自らの出頭という形で始まりました。まずは、小松博文の犯罪の全容を見てみましょう。

2017年10月、小松博文が自首したときに明らかになった事件

2017年10月16日の午前5時頃、小松博文は車で訪れ、「自分が家を焼き払ってしまったことを本当に申し訳ありません。」と泣きながら話しました。スタッフがすぐに現場に駆けつけ、3階建ての鉄筋コンクリートの県営上田澤アパートの1階の1室から出火していることを確認し、消防署に通報しました。

場面では消防署には10台の消防車と救急車が派遣される状況となり、その騒ぎの中で午前5時50分に無事に鎮火しました。同日の午後4時30分頃、一家心中を自称する小松博文は自宅で長女を殺害した容疑で緊急逮捕されました。現場は、JR常磐線の小岐須駅から南へ約1.5kmの場所でした。

現場で発見された遺体は、この家に住む母子であった

この火災現場およびこの家族の母子と思われる6人の遺体とは一体何だったのでしょうか。一人の10代の女性が病院に搬送されましたが、まもなく死亡が確認されました。発見された時点ですでに6人全員が和室で死亡していたということです。また、上半身などに、上腹部などに複数の深い刺し傷や切り傷がありました。

犯人は小松博文であり、家族を刺し、放火した

変形して発見されたのは、小松博文の妻である恵(33歳)、長女であるゆめ姫(11歳)、2人目の息子であるゆきとら(たから)、3歳の双子である2人目の長男・りゅうくん(りゅうくん)とりゅうくん、そして4歳の双子の四男・よりむ(らいる)くんと、四男の次女・みお(れいる)くんです。病院で死亡が確認されたのは長女のゆめ姫でした。

犯人は、小松博文という名前の一家の主であったと警察は告白しました。「家族を殺害した後、ガソリンをまいて放火した」と述べました。真夜中に突然の火災。父親が家族全員を襲うとは誰も予想できなかった真相です。

凶悪な犯罪で6人の尊い命が犠牲になった

長女のゆめ姫には複数の刺し傷がありました。また、妻・恵の体には身を守ろうとした形跡が確認されました。しかし、他の5人の子供たちは抵抗の痕跡がなく、自衛後すぐに襲われたと考えられます。

また、家族の肺から排煙の痕跡があるため、犯罪が放火後に行われたことが分かります。幼い子供たちですら抵抗することなく眠ったまま犯罪が行われたのでしょうか。このように、将来のある6人の尊い命が、彼らの父親らしかった犯行手口で次々と奪われてしまいました。

小松博文は妻子6人殺人放火の罪状で起訴されたが裁判は進展しなかった

茨城六人殺し放火事件から2年が経過し、裁判はまだ進展していません。なぜ進展しないのでしょうか?現在の状況はどうなっているのでしょうか?その謎を解き明かしていきましょう。

小松博文は「嫌なことは避けて自分から立ち向かわず、人に助けを求める生活だった。」と自己主張しているようです。この殺人事件における捜査は小松から詳しい話を聞くことができず、情報の入手が困難で進展が難航している状況が続いています。

もし小松が過去の日々を振り返り、現実と向き合い、真剣に後悔し、正直に話せるようになれば、裁判は進展するでしょう。自分自身の犯罪に対する後悔の念を持つのであれば、自分自身に向き合い、前進すべきではないでしょうか。被害者の遺族の悲しみはこのような状況では癒えることはありません。

小松博文は精神鑑定の結果、責任能力を問われる

警察に受け渡された水戸地方検察庁は、刑事責任能力鑑定を依頼し、その結果、刑事責任能力が問われるとの結論に至りました。それに基づき、小松に対して殺人や放火といった犯罪の事実を起訴することができるとして、起訴されました。

小松博文の放火に関する取り調べが進まないことが原因

小松自身が事件に向き合っておらず、取り調べが困難になっています。「事件が起きてしまったという気持ちにおびえ、事実を認めたくない。」という思考から、自身の記憶をシャットアウトし、全体の事件について話すことができない状態にあるようです。

突然、小松によって人生が奪われ、子供たちは明るい未来を見つめていたはずでした。その事件から突き落とされ、深い悲しみの底から引き戻されてしまった遺族の気持ちを思えば、裁判ができるだけ早く進展することを願ってやみません。

別の事件「携帯電話不正利用容疑」で逮捕

警察署によると、2012年5月、常陸市の銀行で名前の一部が削り取られた運転免許証を使用して通帳を作成しました。その運転免許証と通帳を使用して、電機量販店などで携帯電話など合計13万円相当の物品を詐取したとされています。小松は「携帯電話が未払いで使えないので新しいものが欲しかったから」と容疑を自供しています。

この殺人事件の捜査中に小松の車から通帳が見つかったことから明るみに出たものです。実際のところ、日本の住宅焼失放火罪の取り調べが恣意的だったため、2018年7月に詐欺容疑で再逮捕されたのです。

茨城妻子六人殺人事件の真相

小松博文には、愛する妻と大切な子供たちを殺害しなければならなかった理由は何だったのでしょうか?犯行の動機は何だったのでしょうか?この事件の裏にある複雑な夫婦関係や犯行へと至る小松博文の心の状態をまとめました。

小松博文が家族を殺害した理由は妻の不倫だった

小松博文は犯行の動機を妻の恵との不倫関係に求めています。恵は飲食店でアルバイトをしており、その客であった男性と不倫関係になりました。小松博文はその男性とのLINEのやり取りを発見し、不倫が発覚しました。小松は男性との話し合いの際、彫り物の入った身体を披露したと言われています。

しかし、それらは解決されず崩壊し、離婚は避けられなくなりました。そのため、小松博文は恵がその男性との関係を解消することを条件に離婚を了承することになりました。自身の力では元に戻ることが不可能になったことは、凶悪な犯罪を促すきっかけとなったと言われています。

小松博文、妻子6人殺人事件の背景

小松博文は、妻子との別れから逃れられない生活に追い込まれ、絶望感を抱いたことが犯罪を犯す決意に至った。彼は「家族との幸せな生活がなくなり、再び一人ぼっちだ。彼らはみんな他の男性に行ってしまう。誰にもあげたくない。その思いから、「全てを奪って死ぬ」という考えに至り、家族を殺害し、思い出でいっぱいのアパートを強制的に放火したのだ。

【小松恵】小松博文の妻の人物像

小松恵の性格や、彼女を取り巻く人々からどのように見られていたのか。

彼女は周囲から評判が良かったのだろうか。彼の家族や他の人々の証言に基づいて、小松博文と出会う前の小松恵の生活を探っていこう。

殺人犯、小松博文の嫁となった人物は一体どんな女性だったのでしょうか?

小松恵には離婚歴があった?

小松恵は、小松博文と出会う前に一度結婚し、長女の夢姫(むわ)を出産した。その後、理由は不明だが、彼女は前夫と離婚し、小松博文と出会うことになる。長い共同生活の末、彼らは周囲の反対を乗り越え、三男四女の双子が生まれたタイミングで小松博文と再婚を決めた。

小松恵の人物像

小松恵のインスタグラムを見ると、彼女は子供たちのために料理を作ったり、誕生日を子供たちと一緒に過ごしたり、外出した時の写真など、家族が楽しめるイベントを大切にして自分自身のために努力している様子が伺える。また、小松恵の弟は「妹は優しいお姉さんで、子供たちが大好きだった。」と言っている。家族にたくさんの愛情を注ぐ心温まる母親のイメージが浮かび上がってくる。小松恵の突然の死は、癒しきれないほどに彼女の家族に悲しみを与えた。

小松博文と家族の関係

初めの印象では、彼らは接点がない二人のように見えるが、出会いから子供の誕生、結婚、事件まで、彼らの人生はどのように交差していったのだろうか。出会いから探っていこう。

小松博文がシングルマザーの小松恵と暮らし始める

小松博文と小松恵の出会いははっきりしていない。大手メディアからの情報はなく、インターネット上の噂や週刊誌の情報しかない。オンラインの出会い系サイトで知り合ったという説や、小松博文が当時小松恵の勤務先の病院に通ったことがきっかけで交流が始まったという説がある。

遠距離恋愛が始まる

二人が出会ってから約2ヶ月が経った頃、小松博文と小松恵の交際が始まった。きっかけは、小松恵の長女夢姫(むわ)と一緒にアウトレットモールに出かけたことだと言われている。小松博文は当時千葉に住んでいたため、少しでも距離を縮めるために千葉と茨城の往復をしていた。小松恵の実家が近くにあるため、頻繁に泊まりに行き、そこまで会うことはなかったようだ。しかし、3ヶ月後に小松恵は妊娠してしまった。

妊娠が発覚し、同棲生活が始まる

小松恵はもともと不定期だったため、ピルを飲んでいたらしい。しかしそのピルを小松博文が彼女の知らない間にやめてしまい、妊娠してしまったとのことだ。そのことについては、「計画的なことだったのか?」とお互いに笑いあったこともあったそうだ。この妊娠を機に、小松博文が小松恵のアパートに転がり込む形で同棲生活が始まった。

小松博文と小松恵は4人の子供をもうける

その後、二人は順調に子供を授かり、4人の子供の両親になった。長男の雪虎(たから)、次男の竜巧(りゅうあ)くん、次男の依留(らいる)、三男と三女の双子の未央(れいる)の4人である。彼らの結婚のきっかけは、三男と三女の双子が生まれたことだった。小松博文が小松恵の実家で同居するという、いわゆる義理の結婚という形で正式な夫婦関係となったと言われている。

小松博文は定職に就かずパチンコをしていた

事件当時、小松博文は常磐市の自動車関連会社に勤務していた。しかし、約9月末頃から「妻の体調が悪いので、しばらく仕事を休んでいます」というメモを残し、その通り仕事には現れなかったという。

彼は毎日仕事をせずに趣味のパチンコに通っていたと言われている。

小松博文の妻、小松恵はダブルワークで家計を支える強い人物

一方、小松恵は病院で事務の仕事をしていた。家族の主要な支柱であるはずの小松博文が仕事がうまく続かないため、彼女は自身の仕事で家計を支える強くてたくましい母親だった。夜にはレストランでアルバイトをし、家族のために一生懸命働いていた。仕事、家事、育児に苦労し、7人家族を一人で支えていくことは珍しいことではなかった。

小松博文はDVをしていた

小松恵の友人が証言したところによると、小松恵は「夫に暴行を受けている」と不満を漏らしていたそうだ。周囲の住民たちは二人の口論をよく聞いており、別れることを勧めることもあったようだ。自分の仕事がうまく続かず、思い通りに生きることができない生活に挫折感を抱いており、それがDVへとつながった可能性がある。

なぜ小松博文は仕事を続けなかったのか

なぜ小松博文は仕事を転々としてきたのか?その行動には彼自身の性格が影響していたのだろう。ここでは、小松のノートから彼の職歴に基づいて、どんな仕事を経験してなぜ毎回退職してしまったのかをまとめてみた。

無免許運転で逮捕された

小松博文は小松恵と出会った当時、千葉に住んでいた。茨城に住む小松恵との遠距離恋愛をしており、千葉と茨城の往復生活を送っていた。長男の雪虎(たから)が生まれた後、小松博文は無免許運転で逮捕され、刑事訴訟を起こされた。

再就職するも続かない

刑務所に入れられてしばらくすると、小松博文は仕事を一時的に失い、解放されてからは水道工事をしていた。しかし、運転免許を持っていないため、1日7,000円の収入では足りず、夫婦で話し合った末に再び退職してしまったのだ。

小松博文の生い立ち

小松博文が大切な子供たちを皆殺しにするという凶悪な犯罪に走ったのは、彼の育ちが密接に関係しています。小松はどのような幼少期を送ったのでしょうか?そこには悲しい現実がありました。

少年期に両親を亡くし施設で育つ

小松博文は幼い頃に両親を亡くしました。その後、彼は20歳まで施設で育ち、それ以降は孤独な生活を送りました。兄弟姉妹はいたものの、コミュニケーションが途絶え、頼れる親族もいませんでした。この身に染み付いた孤独感と虚無感が、「自分の子供には同じ状況にはなってほしくない」という思いを生み出し、悲しい犯罪へとつながっていったのです。

職を転々としていた小松博文

小松博文はほとんど長く働き続けることがありませんでした。小松の話によれば、職場で不器用なことや伝えにくいことがあると、正直に言えなかったり、連絡を取らなかったり、勝手に休んだりするなど、痛みを避けるための行動を取っていました。転職のためにハローワークに通ったりもしましたが、面接に失敗し続け、パチンコに明け暮れるようになっていきました。

家族への強い孤独感を抱いていた

小松にとって、幼少期に死別し、最も両親が必要だった時期に死別した彼らの家族こそが、懐かしさであり、最も大切なものでした。離婚や別居をしても、生きていれば再会できるはずだと。たとえ何があっても、なぜ子供たちさえも手をかけたのかという声が世界中で溢れました。しかし、絶望的な状況に陥った彼は、家族全員を巻き込んでこの世から姿を消すという決断をしたのです。

なぜ小松博文は子供たちを殺害したのか

小松博文はなぜそんなにも若い子供たちまで殺害したのでしょうか?それは、情状酌量を狙った発言なのか、子供たちを気遣う本物の意思なのか?それにしても、将来がある子供たちを犠牲にすることは、小松の利己主義を示しています。なぜそんな子供たちを巻き込むことをするのでしょうか?この87枚の手紙にわたる小松のノートをもとに説明していきます。

小松博文が「子供だけが残されるのはかわいそう」と自供

小松博文は子供たちさえも殺害することについて、「自分も死ぬつもりでした。両親がいなくなってこの世に子供だけが残されていたらかわいそうと思いました。」と述べている。かなり利己的な発言ですが、母親がいなくなった子供の未来に対しては悲観的であり、それが子供の命をも奪ってしまったのです。

家族を誰にも取られたくなかった全身全霊の犯行だったのか

小松にとって、あのアパートは彼の妻と子供たちそのものだった。恵美との関係が破綻する中で、家族とのつながりを失っていく。幸せな生活を送ることができない恐怖、大切な人を奪われた悲しみ、この世に一人残される孤独の恐怖が、小松を救いようのない狂気へと駆り立てたのでしょう。

「なぜ子供たちにまで手をかけたのか」という言葉が後に漏れ聞こえてきました。絶望的な心境の中、小松は「全てを失って自分が死ねばいい」という思いで犯罪を犯しましたが、彼自身は生き残り、後悔だけが残ったのです。

小松博文の日常生活や人物像

どのような人物像の小松博文が、そんな恐ろしい殺人を犯したのでしょうか?普段の生活や人物像について、周囲の人々の話を聞くことで見えてきた側面をまとめました。

子供たちと上手に遊ぶ親切な父親

小松博文は近所の子供たちと上手に遊んでいる姿が見られ、子供たちを心配する一面もありました。保育園の送り迎えなど、子供たちとの時間を大切にする人物として周囲から評価されていました。

周辺住民とのトラブルもあった

「自分に契約のない駐車場に自分の車を駐車しトラブルを起こしたことがある」という周辺住民の情報もあります。地方自治体の規約に違反するステッカーを貼られたりするなど、周囲の人々に不便をかけることもあったようです。

車やパチンコに夢中になっていた

小松博文の趣味は車をいじることやパチンコです。職を転々としていた小松自身、稼いだ妻のお金を軍資金として車の改造や毎日のパチンコに使っていました。近所の噂によれば、数百万円もする車を購入しており、駐車料金が支払えなかったという声もありました。

友人や知人からの繰り返しの借金

小松博文は、偽の個人的な話をして友人、知人、同僚からお金を騙し取り、借りたお金を返すことができなかったという証言もあります。このような財務の問題は、転職しなければならない理由の一つです。

小松博文によって殺された長女の評判

元々めぐみの連れ子である長女・夢姫の性格はどのようなものだったのでしょうか。周囲の住民や学校関係者の話から、学校生活や近所の状況を知りました。夢姫の評判を見てみましょう。

兄弟姉妹の面倒をよく見ていた

近隣の住民は、「5人の兄弟姉妹はいつも仲良く遊んでいた」「遊びに行くときはいつも双子の弟を連れてきてくれた。年下の弟の面倒をよく見てくれる優しいお姉さんだった」と語りました。彼らを思いやる家族の良い面について聞かれました。誇りに思うことができる頼りになる娘、めぐみに頼ることができたのでしょう。

小学校でも評判が良かった

また、夢姫が小学校6年生の時に通っていた小学校の校長先生や教頭先生は、「友達を大切にすることができ、お世話を良くしてクラスの子供たちの世話もしてくれることもあった」と話しています。また、「家事を積極的に手伝っている」「いつも周りのことを気にかけ、笑顔を絶やさない努力家の子供だった」という非常に良い印象を聞くことができました。夢姫は当時小学校6年生だったため、両親に対してどのような考えを持っていたのでしょうか。一定の理解ができるほど年齢も重ね、自分たちでできることをしていたはずです。夫婦の間で何が起こったのかの詳細は明らかになっていません。

異常な父親による事件

小松博文のようにわがままな父親による事件もあります。父親の立場や気持ちが原因で子供が殺され、子供たち自身も犯罪に関与した事件で世界は揺れました。子供たちが不安なく希望を持って暮らせる世の中は来るのでしょうか。二つの事件を紹介します。

父子無理心中事件

2000年3月、当時妻と離婚調停中だった田家泰幸は、自分の子供が妻に引き継がれるのではないかと心配し、当時5歳だった長女を保育園から迎えに行き、北海道に飛行機で直行しようとしました。2日後、富良野で-11度という厳しい寒さの中、長女は車内で薬を飲み死亡し、自分自身は生き残りました。その後、彼は殺人罪で懲役5年の判決を受け服役しました。しかし、4年後に一時釈放された田中は、まず長女が眠る墓地を訪れ、墓を破壊し、遺骨を持ち出しました。

結果として、彼は遺骨の持ち出しなどの罪で起訴され、懲役1年と執行猶予2年の判決を受けました。彼らが愛する長女が自分の手から離れてしまうことを恐れたため、犯罪を犯す行動を起こしたのです。自己中心的な理由で将来のある若い命を奪うことが許されるのでしょうか?愛情からの遺骨の持ち出しといった常識では考えられない行動です。犯罪を犯す前に夫婦間で対策を取ることができなかったのでしょうか。後悔しても命を取り戻すことはできません。

万引き家族

2015年秋、大阪府豊中市の防水工業者の父親と母親が、3人の小中学生の子供たちを釣具店で万引きさせる疑いで逮捕されました。父親は携帯電話のメールで子供たちに指示を与えていました。最初は「子供が勝手にやった」と犯行を否認していましたが、大阪府警察の調査で事実が確認されました。犯行の現場となった釣具店は、父親が約400,000円の収入がありながら、不正に福祉給付を受けていました。

金銭欲のために自ら犯罪を犯しながら、子供たちを犯罪に加担させるという虐待的な行為でした。自分たちの指示であっても、自分たちを守るために子供を犯罪に巻き込もうとする心理状態が全く理解できません。これまでのところ、この有毒な家族は世界を怒らせ、驚かせてしまいました。

虐待殺人

2013年3月、東京都足立区入谷で、当時3歳だった三ヶ月零九(りくと)君がウサギのかごに閉じ込められ、口にタオルを巻かれ窒息死させられるという痛ましい事件が発生しました。犯人は父親の疑いがある南川忍犯容疑者(31)と妻である疑いも受けた秋吉夫婦で、致命的な監禁と遺体遺棄の容疑で逮捕されました。南川容疑者によると、れいくんの知的発達は遅く、言葉で言いたいことが伝えられないため、空腹の際には許可なく色々な物を食べていたそうです。

育てるのが難しいと感じるようになった南川容疑者は、事件発生の約2か月前かられいくんをウサギのかごに入れるようになり、現在は2~3日に1回しか餌を与えていないとのことです。ホストクラブでホストとして出会い、結婚した夫婦は他にも5人の子供を持っていました。夫の名前を指で入れ墨にしているたつ夫は、旦那への愛情が異常でした。この事件も、妻が夫の指示に従って遺体を遺棄に協力した形をとりました。自身の望むような子供の育て方ができないため、自分の子供を殺した、極めて自己中心的な犯罪でした。

警察官家族殺人事件

2017年6月6日、福岡県小郡市の住宅で父親による妻と子供の殺人事件が発生しました。中田裕子さん(38)と長男の亮介くん(9)、長女の小夢さん(6)が亡くなりました。6日の朝、故裕子さんの姉が自宅を訪れると、3人の惨殺死体とまな板が直接隣りに置かれているのを発見しました。おかしいと思い110番通報しました。しかし、司法解剖の結果、絞殺されて窒息死していたことが判明しました。県警は翌日、殺人事件として捜査本部を設置しました。

逮捕された家族の父親である中田満助容疑者は、県警の警察官でした。供述書によると、最近夫婦仲は良くなかったとのことです。近所でも子供たちに自転車の乗り方を教えている姿や、挨拶ができる性格で人々によく挨拶をすることから、子供を心配していて良い父親のイメージとされていました。また、仕事では熱心に真摯に取り組み、仕事への姿勢も良く、高い評価を受けていました。突然奪われた3人の貴重な命によって取り囲まれた悲しみは消えることはありません。

小松博文はアダルトチルドレンだった

アダルトチルドレンとは、子供時代の家庭で何らかのトラウマを受け、大人になっても傷を負った人々のことを指します。小松博文も、両親の死別や子供時代の施設での生活などで辛い経験をし、孤独を経験したことが、彼のアダルトチルドレンの心の中で放置された不安を二倍に増幅させ、殺人という衝動を抑えることができなかったのでしょう。彼らが家族に見放されることのない生活を送ることができなかったのは、アダルトチルドレンだからこそです。

アダルトチルドレンの特徴 ① 捨てられる不安

小松博文は、子供時代に両親と死別し施設で育ったという苦しい経験を経て、一生の間孤独を経験したことで、彼の捨てられる不安は他の人よりも二倍強かったと考えられます。彼らは家族に捨てられることがない生活を送る方法を見つけられなかったため、殺人という衝動を抑えることができませんでした。

アダルトチルドレンの特徴② コミュニケーション障害

小松博文は定職に就かず、妻から借金し、妻の稼いだお金でギャンブルをし、妻に暴力を振るうなど、常識では考えられない生活を送っていました。アダルトチルドレンは、彼らの不安や自信の欠如が見抜かれることを望みます。

また、人とうまく交流できないことができないという面もあります。感情を素直に伝えることができない面や、期待に応えるために頑張りすぎる面があります。小松博文は、仕事だけでなく家族とのコミュニケーションも期待通りにできなかったと思われます。これが、彼の人生の転落につながった可能性が考えられます。

アダルトチルドレンの特徴③無責任

小松博文が転職を繰り返す理由の一つは、責任感が欠如しているからです。アダルトチルドレンには、あまり責任を負いすぎることはありません。家族を持ち、子供を育てるためには仕事をしなければなりません。早く自分自身がアダルトチルドレンであることを認識し、責任ある生活を築くためにどのように努力するか考える必要があったと思います。

小松博文は、自分自身が家族を破壊するような行動を繰り返していながら、自分自身が孤独に陥るという状況になってしまった時に、彼ら5人の未来を破滅させるために自己中心的な感情で行動するという非常にわがままな行動を取りました。めぐみに会って新しい人生を始めた時に自分自身に真剣に向き合っていれば、これは起こらなかったはずです。

小松博文は典型的か?子供をわがままに扱う毒親とは何か

有毒な親とは、子供の人生をコントロールし、子供に悪影響を与える親のことを指します。小松博文は、自己中心的な思考でしか行動できないため、将来のある子供の人生を奪った本当に有毒な親です。自己愛の強さからくる小松と子供たちの関係はどのようなものなのでしょうか?

毒親像を垣間見る① 子どもの事情よりも自身の事情

小松博文は子供の遊び道具を売りつぶすまでパチンコで遊んでいた。子供はおもちゃだけでなく、必要なものがたくさんある。自分の楽しみのために子供を奪い、傷つける毒親としか言いようがない。子供たちの目に映った父親はどのような存在だったのだろうか。

特に長女の夢姫は11歳であり、大人の事情を理解する年齢となっている。母親が家計を支えるために二足のわらじで働いている一方で、父親はパチンコ店に入り浸り、没頭している状況に違和感を感じたことだろう。親の事情によって子供が悲しい思いをすることは言葉にできないほど苦しい。

毒親像を垣間見る② 子どもをコントロールしたい欲望

小松の手記から伝わる情報によると、子どもたちは「ぱぱ、ぱぱ」と言っていたという。めぐみにとっては愛しい子供ほど、嬉しくてたまらなかったのだろう。自分自身の過去のトラウマから、自分の子供の人生をコントロールしたがるという自己中心的な考えを持っていた父親。親のない状況で生きる辛さを子供と共有したくなかったのだろう。しかし、子供の未来は子供自身のものであり、親がそれをコントロールするものではない。小松は親として、子供たちが成人するまでサポートし、育てるために最善を尽くすという考えを持たなかったようだ。

小松博文はエゴイストな気持ちから妻子を殺害した殺人犯

小松博文は幼少期に愛する両親を亡くすという痛ましい経験をしたが、金銭を得るために人を騙して生活し、責任の欠如から仕事でトラブルを引き起こし、独占欲が強かった妻を苦しめた挙げ句の果てに殺害した。愛する子供たち5人まで、エゴイスティックな憶測によって命を奪った。今さら後悔しても失われた命は戻ってこない。

事件を様々な角度から解読しても、自己中心的でコントロール欲に駆られた彼の犯罪には情状酌量の余地はないだろう。今まで苦労して生きてきた小松めぐみと子供たちの命が突然奪われ、その残虐さによって周囲の人々や被害者の家族の悲しみは消えることはない。今、できることは彼らが天国で平和な時間を過ごしていることを祈ることだけだ。

小松博文の現在

小松博文は現在どのように過ごしているのでしょうか?

小松博文は裁判で「記憶が戻らない」と繰り返し発言しています。既に死刑判決は出ているので現在は執行待ちの状態となります。

愛していた家族を皆殺しにしてしまった小松。その記憶にある真実とはいったい何なのでしょうか?

現在も真相は謎に包まれたままです。

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