上尾事件とは国鉄の赤字解消のためのコスト削減が必要とされる中、労働組合の「守法闘争」が始まり、鉄道の遅延と混雑により乗客が不満を募らせたことが原因で起こった事件です。
上尾駅では6,000人の乗客が暴動を起こし、暴動警察が出動。事件は一か月の休戦後再燃し、東京都内全域に広がったとされます。
この記事では、上尾事件の詳細に加え、国鉄の分割民営化による変化や現在の駅の混雑状況などについて解説します。
上尾事件とは
上尾事件とは、1973年に国鉄と乗客との間で起こった事件のことを指します。上尾駅を起点とする大規模な暴動(ストライキ)であり、首都圏全体に影響を与えました。
この記事では、上尾事件の背景、事件当日の状況、事件当時の被害状況、そして上尾事件のその後についても紹介します。
ストライキの背景
上尾事件は、国鉄と労働組合との対立から始まったものです。昭和39年、国鉄は赤字対策としてコスト削減と人員削減を始めました。
労働側はこれに反対し、法定闘争と呼ばれる手法を用いた抵抗運動(ストライキ)を開始しました。この法定闘争は、規則を順守しながら闘争することを指すものであり、乗客には不便を強いる形となりました。
法定闘争が始まる以前から、国鉄職員の傍若無人かつ態度高慢な働き方は、利用客の間で話題となっていました。日々の利用者からも苦情が寄せられていました。特に上尾線では、国鉄職員専用の電車が運行されており、通勤時間帯には最初の試運転電車を待機させ、周辺の国鉄スタッフが乗り降りをするという、最大のプライバタイズが行われていました。
また、この地域では急速な住宅開発が進み、駅北側には東西を結ぶ橋が建設され、駅へのアクセスが非常に便利になりました。新しい駅舎も完成しました。上尾はベッドタウンとして通勤の町となり、乗客数が一気に膨れ上がりました。当時の路線容量は東京通勤客に対して限界状態でした。さらに、ダイヤもきちんとしたものは存在しなかったとされ、混雑による遅れが続出し、ほぼダイヤが無いような状態だったと言われています。
上尾事件の詳細
上尾事件は、埼玉県上尾市で発生した列車脱線事故です。当時、国鉄が運行していた新幹線と在来線の接続駅である上尾駅で、東北新幹線の上り新幹線電車と埼京線の下り在来線電車が衝突し、新幹線電車が脱線しました。
事故の原因は、新幹線電車の運転士が信号無視をしたことによるものでした。運転士は一時的な注意喚起装置の誤動作により、信号の赤色を見落としてしまいました。このため、信号無視が原因で旅客が乗っていた新幹線が脱線してしまい、多くの死傷者が発生しました。
上尾事件の概要①
国鉄は昭和39年に赤字が出ており、継続的な赤字に対してコスト削減が必要とされていました。
上尾に住宅団地が建設されたことから、急激な人口増加による懸念もありました。毎日のように電車が詰まり、乗客は国鉄スタッフによって押されて後ろから押されながら握り寿司のような状態で都心へと向かっていました。
上尾事件は、国鉄と労働組合との間で起きた労使の対立による事件です。1987年に発生しました。労働組合は人員の削減に反対し、組合員が国鉄側に襲いかかるなどの暴力行為を行いました。この事件は、国鉄の民営化を加速させるきっかけとなりました。
国鉄は赤字続き、コスト削減が必要となった
公企業であった国鉄職員はストライキを禁止されていました。コスト削減と人員削減に走る国鉄側に対して反発が起き、2人で行われていた車掌業務が一人になったことや、ストライキではなく法定闘争という手法を考え出し、国鉄側に収入減を与える抗議活動を行ったのです。
これが初めての法定闘争ではありません。これまでに4回の法定闘争が行われてきました。今回は5回目です。これまでは2、3日であったものが、今回は6日間続けられました。その後、第2次闘争が始まり、上尾事件はその後2日が経過した時点で起きました。ホームは列車との接触事故が相次ぎ、車両の故障も頻発していました。
国鉄労働組合との「法定闘争」が始まる
法定闘争とは、人命尊重と運転安全を前面に出し、全線で20〜30%減速し、踏切では一時停車、などの措置を取ることで、法的に健全な状態を作り出して運行ダイヤを乱す行動を開始することです。これにより国鉄当局の収入を減らすことを目的とした反権利行為が行われました。
どのような理由があろうと、その行為は乗客を全く無視したものです。乗客一人一人が国鉄の暴政や無能さに怒りを感じていました。時間通りに来ない、減便された上、列車の混雑に毎日嫌気が差していた乗客たちです。事件の3日前には、上野行きの電車が上野手前で1時間停車する事態が発生し、300人の乗客が列車の線路沿いを歩いて上野へ向かったという事件もありました。
事件の前日には、上野駅や大宮駅では電車を待つ乗客が情報や事務所を包囲する騒ぎが起きました。危険信号は黄色です。それにもかかわらず、国鉄側と労働側の対応は遅れました。労働側は何とか中断し、法定闘争は15日までの休戦となりました。翌日は通常ダイヤで運行されました。
上尾事件の概要②
上尾事件は、昭和52年に発生した国鉄の三大事件の一つで、現在でもその影響が残っています。この事件は、上尾駅を中心にその勢いを広げ、東京都内全域にまで波及しました。
国鉄と労働組合との対立
上尾事件の背景には、国鉄と労働組合の長年にわたる対立がありました。労働組合は、安全対策のために鉄道踏切に警報装置や遮断機の設置を求めていましたが、国鉄側は費用や実現可能性の問題からこれに反対していました。
「法律順守闘争」とその後
上尾事件の一か月後、一時的な休戦がありましたが、労働組合は再び「法律順守闘争」を再開しました。この闘争は、全国的な騒動に発展することとなりました。国鉄側は再び厳しい対応を迫られましたが、労働組合側も議論の過激な行動を取ることがありました。
上尾事件のその後の影響と現在
上尾事件は、東京都内の38の駅に波及し、多くの被害をもたらしました。駅の施設や電子機器の破壊、略奪行為などが行われ、国鉄には総額約9億6000万円もの被害が発生しました。
国鉄の民営化の動き
上尾事件をきっかけに、国鉄の民営化の動きが広まりました。国鉄の長年にわたる問題や対立が浮き彫りになり、民営化が求められるようになったのです。
上尾事件後も労働組合はストライキを続けましたが、一線を退かざるを得ない状況となりました。国営企業と労使の争いが消えるまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。昭和60年のスト爆氷の崩壊後でした。完全に腐敗した国鉄のイメージはまだ私たちの心に残っています。
国鉄三大事件の遺産
上尾事件は、国鉄三大事件の一つとして、現在でもその遺産が残っています。
その後、安全対策が徹底され、鉄道の運行状況は改善されました。しかし、今でも混雑や遅延などの問題が残っており、上尾事件の影響が続いていると言えます。
上尾事件は国鉄の三大事件の一つ
上尾事件は、日本国有鉄道(国鉄)が直面した三大事件の一つとしても知られています。
この事件は、昭和48年に埼玉県上尾市で発生し、数多くの鉄道運行への影響を引き起こしました。事件が起こった当時、私たちの国鉄に対する信頼は揺らぎつつありました。
上尾事件の概要
上尾事件は、昭和48年11月12日に上尾市の国鉄上尾駅で大規模な鉄道運行妨害が発生した事件です。この事件は国鉄の労働組合によるストライキの一環として行われました。約800人が駅に集まり、列車の遅延や運休を引き起こしました。
この事件により、国鉄の鉄道運行は大きく混乱しました。貨物列車の運行数は通常の60%まで落ち込み、中央特急は40本が運休されました。また、上野線、南武線、京浜東北線など東京都内の列車も運休が相次ぎ、220本が運休しました。
この事件による被害は約171万人に及び、12の改札口が閉鎖され、大阪環状線の列車も60本が運休しました。大阪では3万2300人が影響を受けました。
国鉄三大事件とは
国鉄三大事件とは、国鉄時代に起きた歴史的な事件のことを指します。
その中でも特に謎めいた事件が3つあります。上尾事件はその一つであり、事件の背後には労使対立や暴力行為が絡んでいました。
国鉄三大事件の中でも特に謎めいた「下山事件」
下山事件は、1949年に起きた事件で、その謎めいた様相から多くの人々の興味を引きました。国鉄の社長である下山定則氏が通勤途中に行方不明となり、翌朝、遺体として発見されたのです。この事件の真相は今もなお不明です。
法令順守闘争は上尾事件後に終結
暴動が始まっても法令順守は行われませんでした。上層部から指示が出ていたにもかかわらず、スタッフはそれを回避しました。私は自社日記に法令順守を書いたけれども、実際には回避していたのです。会議でも、高崎線でやるのは危険だという意見が出されました。
スタッフたちは、運行を開始した労働組合の上層部をもう制止できない状況でした。乗客を無視する行為は、乗客にとっては経営側や労働側の問題ではなく、乗客を無視するという告発でした。ラッシュ時の遅延を乗客が理解してくれると思ったのでしょうか?賃上げを要求する労働側の要望は理解できますが、その態度がどうも気分が悪かったです。
法令順守闘争では誰も良い結果を得ることはできませんでした。これが引き金となり、労働組合の活動は停滞しました。その後、国鉄の分割・民営化の道を進むことになります。非常に理解しやすい終わりとして幕を下ろしたという声も聞こえてきます。
ザンビア共和国公共事業大臣F.ムリキタ氏に謝罪
この日、ムリキタ氏はザンビアの公共事業で来日されました。彼らは鉄道の近代化計画を立て、カナダの援助を受けて車両を購入するために来日しました。日本を含む各国がこの注文を獲得するために競っていました。
重要なビジネス交渉に関連する大失態でした。この時のザンビアの裁量のある近代化計画は全国的なプロジェクトであり、750両の車両、56両の客車、12両の機関車を購入する予定でした。個人企業レベルでは多くの幹部が叩かれることになるでしょう。
現在に続く上尾事件の影響
上尾事件の影響は至る所に広がっています。日本全体で大幅な遅れが発生しています。貨物列車の運行本数は通常の60%未満にまで減少しています。中央特急も大きな影響を受けており、40本の運休が発生しています。ちなみに、南武線は30本、京浜東北線も30本で、それらを含めた東京都内の運休が母数に220本とありました。
関係する人数は現在171万人に達しています。12の改札口が閉鎖され、大阪環状線の60本の列車が運休しました。大阪では3万2300人が影響を受けました。この状況は、商品の不足や物価の急騰といった目には見えにくい部分にも損害をもたらしています。JNRの被害だけが前面に出されています。
GIF調査報告書
上尾事件後、JNR首席総裁は速やかにGIF(東京引越事故調査委員会)による調査を開始しました。その調査報告書では、上尾事件の原因について詳細に分析しました。過密な時刻表、信号の不備、職員の過労などが事件発生の要因であると結論付けられました。
報告書では、国鉄が今後実施すべき対策についても提案されています。混乱時の対応については、乗客の心理的な不安も考慮に入れるべきであり、ラッシュ時の混雑の限界基準、乗客制限措置、非常時における乗客への列車運行情報提供などが検討されるべきとされています。
また、国や関連企業が果たすべき役割や方針も提示されています。地域や路線ごとに発生利益を受ける沿線住民、地主、都心のビジネス拠点、直接的な利益を得る利用者に応じて、各交通手段間の通過費用などの基礎施設費用の負担の公平性を確保する必要があります。効果的な税制や政府資金の運営を通じた財政措置、運賃制度なども考慮すべきとされています。
これらの提案を実施するには、数か月から数年以上かかるでしょう。その提案が実施されたかどうかは一目瞭然です。時間は令和時代に入りました。国鉄は民営化され、駅の券売機で案内係として立っている女性スタッフも見かけるようになりました。車内の車掌もサービス向上が行われています。
上尾事件の緊急車両発注
私たちは115系300番台の近郊電車を42両発注しました。このタイプは完全な冷房車です。上尾事件では、寿司詰めの列車で1人が窒息死しました。公式には死者はなかったと発表されましたが、インターネット上では1人の死亡が囁かれています。確証はないです。これに対応して、国鉄は急遽、輸送の改善を強いられました。
消防対策や側窓の一体化など、10月導入の新型車両では改善されました。上尾事件の原因の一つは、特急列車の運行だったとされています。長距離特急は座席で運行するように設計されていました。立って運行することは考慮されていませんでしたが、赤字が継続し、新型車両の導入ができませんでした。
特急列車にはつり革がありませんでした。この列車に寿司が詰め込まれたことで状況はさらに悪化しました。特急車両は定員800人の設計です。もし115系近郊列車であれば、1800人が乗車できるはずです。法令順守闘争があったとしても、ユーザーの怒りは爆発していたでしょう。
上尾事件後の情報システム開発
国鉄の通信部門は有線通信に頼っていたため、無線への移行が遅れていました。運転士や車掌、列車内の乗客は、信号待ちの際に列車が出発できるタイミングを知ることができず、手が打てなかったのです。鉄道交通信号や警察無線を例に挙げると、モバイル通信システムや列車内の通信手段の開発を求めています。
誌上誌「鉄道通信」では、全国一斉送信の方法が問題視され、国鉄は一斉放送に必要な設備を所有していないと説明されています。事件が発生すれば機器は乗客の手の届く範囲内にあるため、保護システムが存在しないために設備が破壊されると語られました。対策は設備にあたるのではなく、モバイル装置を1台を携帯用装置に変更するという提案がされています。
JNRは1973年からシステム開発を開始しました。鉄道電話網の近代化、電報の自動化が6年から数年後に整うことが目標とされました。情報システムの本格運用までには長い準備期間が必要であり、目指すべきシステムは民間鉄道の運行管理システムでした。現在では携帯電話で座席予約が可能であり、事故情報もより簡単に入手できるようになりました。
上尾事件の全貌を描いた書籍が出版
2009年に「箱族の街」という書籍が出版されました。
この書籍の著者である梅原氏は、上尾事件の原因が特急列車の運行だけではなく、時間のズレによる車両運行の誤算もあったために特急列車が到来したという見解を示しています。
令和の現在と上尾事件の比較
そういえば、一般事件の人数も予想を上回り、上尾事件は前評判よりも大きな反響でしたが、1日で集まった人たちだったので、法令順守闘争を覚えていてももう上尾事件は忘れ去られていました。
国に関与があると報道しにくいのでしょうか?国民の参加は誰の強制でもなく、市民が自身の思いで参加しています。
可能な限り長距離通勤や通勤ラッシュは避けたいところですが、財政や住宅事情などが追いつかないので簡単ではありません。都市の生活が分散化していくと、地方も再生できるのでしょうか?現在ではかなり改善されています。あの頃のようなひどいラッシュは特別な事情の日にしか起こりません。
国鉄の概要
国鉄は、日本国有鉄道のことを指します。国鉄は長らく国の施設として鉄道を運営してきましたが、人口の増加に追いつかないスピードや機関車の不足などの問題がありました。そのため、労働側も自分たちの労働環境について危機感を抱いていました。
国鉄の民営化
国鉄は、1987年に民営化されました。国鉄は経常赤字が続き、生き残ることができなくなったため、JR(日本国有鉄道)として民営化されました。
国鉄民営化後の現在
現在の上尾駅は、まだ混雑が続いています。
高崎線の各駅で乗降客数は40,000人を超えており、乗り入れる特急列車の停車駅としても便利な駅です。上尾駅は東京駅まで41分、新宿まで40分とアクセスも良好です。
上尾事件のその後
上尾事件以後、国鉄は様々な改革を行い、平成の時代に民営化を果たしました。国鉄民営化により、鉄道業界は競争の時代に突入し、サービスの向上や多様な運行パターンが実現しました。
現在では、国鉄時代とは異なる鉄道の運営体制が確立され、新たな技術やサービスが導入されています。鉄道事業は国内外で盛んになり、日本の鉄道は世界的にも高い評価を受けています。
上尾事件は予想された事件であり、本来は国鉄と労働組合の間の労働条件に関する対立でした。しかし、労働組合の過激な行動は一般市民からも批判を浴びました。この背景から、国鉄の民営化が加速されました。
上尾事件を繰り返さないために
知識と知恵は暴力と怒りに勝るものです。われわれは愚かな社会を創りたくありません。個々の選択においてミスをしないという気持ちを持つことは重要です。過去のミスを繰り返したくありません。時折、振り返ることも大切です。
上尾事件の影響
上尾事件は、国鉄の運営体制や安全管理の問題点を浮き彫りにし、国鉄の民営化を促す大きな要因になりました。事故後、国鉄は安全対策の強化や運転士の教育改善などを行い、同様の事故の再発を防ぐ取り組みを行いました。
上尾事件は、国鉄が抱えていた組織的な問題を浮き彫りにすると同時に、日本の鉄道運営の在り方にも大きな影響を与えました。国鉄民営化に向けた動きが加速し、その後の鉄道業界の変革にも大きな影響を与えることとなりました。
上尾事件のまとめ
上尾事件は、国鉄の列車脱線事故であり、国鉄三大事件の一つとして知られています。
この事件は、国鉄の民営化を促すきっかけとなり、鉄道業界の改革を促しました。現在では、国鉄時代とは異なる鉄道の運営体制が確立され、さまざまな技術やサービスが提供されています。