メアリー・ベル事件の真相に迫る。幼少期の過酷な環境や保育所での残虐な犯罪、そして逮捕・裁判の舞台裏。彼女が明かす自伝には罪の意識や現在の生活、そして嘘と真実が交錯し、読者の心を揺さぶる。心理状態やサイコキラーとしての特異性に焦点を当て、メアリー・ベルの物語を解き明かす。
- メアリー・ベルとは
- 10歳の連続殺人犯
- サイコキラーとして知られるメアリー・ベル
- なぜメアリー・ベルはサイコパスと呼ばれるのか
- 精神疾患とサイコパスの違いは何か
- メアリー・ベルの悲惨な生い立ち
- 麻薬中毒の母
- 唯一の人間として見てくれた継父
- 貧困で愛のない生活
- 目を背けたくなる性的虐待
- 孤独なメアリー
- 母による殺害未遂
- メアリー・ベル事件とは
- メアリー・ベルの最初の事件 [1968/5/25]
- 4歳の男の子殺害
- メアリー・ベルによる捜査の妨害
- 嘘に転じる警察
- 保育所でのメアリー・ベルの犯罪行為
- 犯罪文の内容
- メアリーの爆発する怒り
- 奇異な振る舞いと発作的な暴力
- メアリー・ベルの二番目の事件 [1968/7/31]
- 3歳の男の子殺害
- 再び、メアリー・ベルの嘘によって妨害される警察
- 疑われた子供たち
- メアリー・ベル事件:11歳の少女連続殺人鬼の裁判とその後
- 嘘をついて兵器のハサミを知っていた逮捕理由
- 異常さへの一瞥
- 感情のない少女と「片面性」
- 異常な人間性の背後には何があるのか
- メアリー・ベルの裁判結果
- 裁判で見せた彼女の異様さ
- メアリー・ベルの有罪判決
- ノーマ・ベルは無罪
- 世界中に存在するサイコキラーたち
- エド・ゲイン
- ジョン・ゲイシー
- 少年A
- メアリー・ベル事件のその後
- 1980年5月14日(22歳)までの更生施設/少年院で収容
- 保護観察中に女の子を監禁
- 釈放後、母の元に行く
- 娘を縛り続けた母、ベティ
- 現在のメアリー・ベル
- 名前を変えて静かに生きる
- 成人時に事件を明かす
- 孫を持ち、祖母になる
- 自伝的告白
- 「Soul Cries: Confessions of an 11-Year-Old Murderer, Mary Bell」概要
- 娘を持ったことで感じた罪悪感
- 自伝からのメッセージを解読する
- メアリー・ベルとは
- 生い立ち
- 保育所
- 嘘
- 逮捕
- 裁判
- サイコキラー
- その後
- 現在
- 自伝
- メアリー・ベル事件のその後と現在
メアリー・ベルとは
1957年5月26日、メアリー・ベル(メアリー・フローラ・ベル)はイングランドで生まれました。知的で歌うことが好きな可愛い少女…ですが、同時に不思議な子供でもあり、人間として重要な要素が欠けていると感じずにはいられないという奇妙な存在でした。そのため、彼女は「恐ろしい少女」と呼ばれる運命にあったのです。
10歳の連続殺人犯
メアリー・ベルは自分の小さな手で3歳と4歳の少年2人を殺害しました。この事件は捜査に関わる警察官たちを激しく混乱させ、真実が明らかになったときにはイギリス全体が震え上がりました。犯罪当時の10歳と逮捕当時の11歳は、でっちあげの話とは思えないほど信じがたいものです。
サイコキラーとして知られるメアリー・ベル
メアリーは多くの恐ろしい思考や行動を示し、自分が「ごめんなさい」と「何か悪いことをした」と感じる気持ちが完全に失われていました。あなたの周りに、そういった一瞬を感じさせる人はいますか?もしそうなら、きっとこの印象を持っているはずです。「この人、サイコパスじゃない?」
なぜメアリー・ベルはサイコパスと呼ばれるのか
メアリーは非常に賢い子供でした。その頭脳から紡がれる話術や嘘は大人でさえ驚愕するようなものでした。また、自分よりも弱い存在を虐待することに快感を見出したサディスティックな性癖を持っていたと言われており、後に逮捕された際には、弱者いじめの楽しさを無情に語っていました。
精神疾患とサイコパスの違いは何か
サイコパスは「サイコパシー(精神病質)」と呼ばれる反社会的な人格を持つ人を示す心理学用語です。「精神疾患」という言葉が使われていますが、精神疾患に苦しむすべての人が「サイコパス」ではありません。偏見を持たないように正しい知識を持ちましょう。
では、サイコパスと分類されるための具体的な特徴は何でしょうか?「極端な無情さ」と「人間らしい感情の欠如」といったざっくりとした定義があります。彼らは正常な人間特有の思考や価値観を根本的に持たず、本能的に異常を感じざるを得ない存在です。
リアルな連続殺人犯だけがサイコパスと呼ばれるわけではありません。全国的にアニメの登場人物がこれに当てはまるような描写をすると、ネットで大きな話題になることも知っていますか?サイコパスについてのより詳しい説明も含んでいるので、ぜひ読んでみてください。
メアリー・ベルの悲惨な生い立ち
この世に生まれたメアリーを待っていたのは、親切で愛情深い家族とはほど遠い状況でした。誰もが幼くして命を落とすほどの悪人と呼ばざるを得ないメアリーが、2人のわずか数年しか生きていない乳幼児を手にかけたのは、彼女自身にも何か起きる“きっかけ”があったからなのでしょう。その育ちはまさに地獄そのものでした。
麻薬中毒の母
彼女の母であるベティは、娼婦として働きながら17歳の若さでメアリーを出産しました。残念ながら、ベティにはメアリーへの愛情がありませんでした。むしろ、危険な薬物の常習者でもあったので、ベティが使用していた薬物をメアリーが誤って摂取し、危険な状態でほとんど死にかけた事故もありました。
逮捕後、メアリーは女性の警察官に対して「ママは私のことを好きじゃない」と語ります。女性警察官は「それは違うよ。ママはあなたのことを愛しているわ」と答えましたが、「ならなぜ私を置いていくの?」と悲しそうに続けたそうです。幼いメアリーは母親が愛を持っていないことをとてもよく知っていたのです。
唯一の人間として見てくれた継父
ベティは娼婦として複数の男性と関係を持っていました。自分が出産したメアリーの父親は分かりませんが、とりあえずビリーという男性が継父の立場にあったようです。動物のようにメアリーを扱うベティとは違い、彼は彼女を人間として扱ったと言われています。
自堕落なビリーも普通の愛情を注ぐことはできなかったが、それでもメアリーは心を救ったに違いありません。何十年も経った今でも垣間見られる、僅かな温もりは間違いなくビリーという存在によって生み出されたものです。
貧困で愛のない生活
メアリーの人生は常に困難でした。父親がいると生活保護費が減額されるため、メアリーは継父ビリーを「おじさん」と呼ぶように教育されたと言われています。ベティは娘を置いては何気なく姿を消し、置き去りにされたメアリーは「おじさん」とともに場所を転々とする生活を送っていました。
彼女は満足のいく風呂に入れず、頭にはシラミが住み着いているような汚れた子供だったと言われています。ベティは時間とともに自暴自棄になり、若さを失いながら繰り返し自殺を試み、メアリーに対しても暴力を振るってばらまいたといいます。結局、生活費を稼ぐためにSMプレイを専門とする売春婦になってしまったベティは、まだ幼かったメアリーを利用していました。
目を背けたくなる性的虐待
母ベティは渋々ながら自らの嫌悪感を抱きつつ、抵抗するメアリーをベッドに押し倒し、娼婦と同じことをさせました。もちろん、若い少女の体は大人の男に受け入れることはできません。そのため、無理矢理オナニーさせるのです。娘が歯を食いしばって抵抗した場合は、歯を縛り、首を絞め、口を開けさせ、そこに射精させるそうです。この扱いは、メアリーが4歳から8歳の間まで続きました。
孤独なメアリー
メアリーには友達がいなかったし、弟ですら「お金を払って弟と遊んでもらっていた」と言っています。お金は誤った男性に体を触らせることで手に入れていたと言われています。9歳のときに最初に出会った「友達」は、後のメアリーの共犯者として名を馳せることになるノーマ・ベルでした。
母による殺害未遂
ベティが子供が生まれるときに発した言葉は信じられないものでした。「それを片付けろ」と。メアリーは1歳の時にベティによって鎮静剤を飲まされ、病院へ連れて行かれ、数年後には窓から転落するなど、命の危険が多くのときがありました。おそらく、「誤って摂取」された薬物は「誤って摂取」されたわけではなく、あるいは「誤って摂取」されたと言い切れないものだったのでしょう。
メアリー・ベル事件とは
誰からも助けを求められず、愛されず、むしろ殺されかけた。そんなヘルに生きるメアリーに手を差し伸べるものは誰もいなかった…このような愛からかけ離れた劣悪な環境が、メアリーを殺人鬼にした遠因であることは疑いようがない。果たして冷酷で容赦なかった最初の人物は、彼女の母親や周りの人たちかもしれない。
メアリー・ベルの最初の事件 [1968/5/25]
誰からも愛されず、助けを得ず、優しさを知らないまま育った少女。そして、ついに邪悪の芽が花開く。最初の事件は1968年、イングランド北部のニューカッスルで発生した。スラム街の空き家で、幼児の死体が発見された。
4歳の男の子殺害
最初の犠牲者はマーティン・ブラウン。彼はたった4歳の男の子だった。事件当日、マーティンは午後3時15分頃、キャンディ店でお菓子を買い、その後、叔母のリタの家でパンを食べた。午後3時20分頃外に出て、わずか10分後の午後3時30分に死体で発見された。
死体を発見した最初の人たちは、鳩小屋を建てるために木材を探していた3人の少年たちだった。マーティンは床で仰向けになっており、口から血まみれの唾液が滴っていた。彼を発見した少年たちは人工呼吸を試みたが、この幼い少年の命を取り戻すことはできなかった。
死体の周りには薬物が散乱しており、最初の警察の疑問は「誤って薬物を摂取したのが死因ではないか?」というものだった。しかし、調査を進めるうちに、その線は否定される。行われた検視の結果、軽度の脳出血が確認される程度の驚くべき症状はなく、死因は窒息であることが判明した。
もしそうであれば、窒息を示す「締め付け痕」があるはずだ。しかし、それが全く確認できなかったため、絞殺の線も否定され、捜査は非常に困難を極めた。結局、医師は「引力による突然死」と断定し、マーティンの若い命は「自然死」の形で一度として終わりを迎えた。
マーティンの死の直後、メアリーはアウトサイダーのように振る舞い、マーティンの叔母リタに事件を伝えに行く。まるで誰かに聞かせるかのように「私のおばさんとこの子が事故になった!どこで起こったか教えるよ!」と言って、リタを犯行現場へ案内しようとする。
そして、犯行の翌日、メアリーは悲しむ被害者宅を訪れる。「マーティンが死んだら寂しいでしょ?」、「マーティンのことを考えると泣くでしょ?」、「マーティンが恋しいでしょ?」など、このような質問を無邪気にしている顔に、彼女はほんのりとした笑みを浮かべていると言われる。
メアリーはまた、マーティンの葬式の際に彼の家にも訪れた。メアリーが「マーティンに会わせてくれ」と言うと、「ありがとう。でも、マーティンはもうここにはいない」と母親は答える。するとメアリーは「分かってる。マーティンの顔を棺の中で見たい」と笑顔で話したそうだ。
また、マーティンの殺人の半月前には、メアリーとノーマは3歳の幼児を転倒させ、頭から血が出るほどの重傷を負わせ、さらには6歳の少女2人を絞め殺すという事件も起こしていた。このような暴力が繰り返されるうちに、メアリーの中で人を殺したいという欲望が徐々に育っていったのだろう。
メアリー・ベルによる捜査の妨害
一体どのようにして、行き詰まりに陥った捜査からメアリーが特定されたのだろうか?当時、メアリー・ベルは周辺地域に住んでいる子供たちの中にいた。そしてもう一人、同じ姓を持ちながらも親戚ではないノーマ・ベルという少女もいた。この2人が警察をさらに混乱させる。
嘘に転じる警察
メアリーの頭は非常に速く回転し、息をするように嘘をつくことができた。その嘘つきは有名で、マーティンの死因が自然死だと警察が発表すると、「私が殺した!」と堂々と回り始めた。しかし、姿勢を誇らしげにするにしても、誰もそれを信じてはくれなかった。そしてその怨みがメアリーをさらなる異常な行動へと駆り立てる。
保育所でのメアリー・ベルの犯罪行為
嘘つきのせいで、マーティンの殺人に誰もが信じてくれなかったメアリーは、事件の2日後の夜、近くの保育所に侵入する。彼らは施設の財産を破壊し、4つのメモを残して去ったが、これらのメモからメアリー・ベルの手がかりが追跡され、警察は事件の真相に近づくこととなった。
犯罪文の内容
「台無しにしてやるから、戻ってくるよ」、「クソったれのクリーチャーに仕掛けろ、おれらの。(中略)マーティン・ブラウンをやった、バカやろう」、「いやな猫がソコで騒子してんだ、おれらよりでしょ死ねたニャアニャアがもっとポリをやってるよ」
これは10歳の子供が書いたとは思えないような辛辣な言葉で綴られたメモだ。この後もメアリーは被害者の家族をあざ笑う態度をとったり、犯行現場の絵を描いたりと大胆な行動をとったが、結局、彼女の嘘癖のせいで真剣に取り合われることはなかった。この小さな殺人鬼は長い間見過ごされた存在だった。
メアリーの爆発する怒り
メアリーは、思い通りにならないことや意図に合わないことがあると、凄まじい癇癪を起こした。いつ起こるかわからない癇癪と嘘癖のせいで、周囲から孤立してしまったと想像するのは容易である。普通、親は嘘つきや怒りっぽい人間が好かれないことを教えるものだが、メアリーにはそれがなかった。
奇異な振る舞いと発作的な暴力
5月31日、保育所の警報が作動する。警察が向かっていくと、侵入者であるメアリーとノーマを目撃した。状況を聞かれても、彼らは前回の保育所侵入については全否定をした。その後、1週間ほど経ったある日、少年がメアリーとノーマの騒ぎを目撃した。
メアリーは「私は殺人鬼だ」と叫びながらノーマに飛びかかり、彼女の髪を掴み、その後彼女の顔面にパンチをくらわせたという。彼らは死体が発見された空き家を指さし、「あの家で彼を殺したんだ」と呼んだと言われる。これまで大騒ぎしたにも関わらず全く信じてもらえなかったのは、かなりの嘘癖があったためだろう。
マーティンが亡くなった翌日は、メアリーの11歳の誕生日だった。偶然か計算か。その時、ノーマの妹であるスーザンが誕生日カードをくれなかったことに憤慨したメアリーが彼女を絞めた。幸いにも、叫び声を聞き駆け付けたスーザンの父親が二人を引き離したが、この出来事以降、おびえたスーザンはメアリーとの遊びをやめた。
メアリー・ベルの二番目の事件 [1968/7/31]
マーティンの死では得られなかった「注目を集めたい」という目的のため、メアリーは再び悪行を重ねる。その若き心の深奥に渦巻く「愛されたい」という感情がいかに歪んでいたのか。
3歳の男の子殺害
二人目の犠牲者は同じ地区に住む3歳の少年、ブライアン・ハウ。ブライアンの姉が弟を探していると、メアリーが「ブライアン?コンクリートブロックの間で遊んでいるかもしれない」と言ったという。しかし、なぜか同行していたノーマはそれを強く否定し、その場所から離れて行った。
結局、メアリーの言った通り、ブライアンはコンクリートブロックの間に隠されていた。時間は深夜の11時10分で、小さな体は凍りつき冷たかった。鼻には打撲痕があり、口から血が流れ、体には草と紫の花が散乱していた。
ブライアンの横には、片側が折れ曲がり、もう片方が曲がって壊れたままのハサミが置かれていた。メアリーは殺されたことを彼女に理解させるために、一度殺されてから現場に戻る。そして、彼女は体の腹部に自分のイニシャル「M」を刻み、ハサミを使って髪を切り、男性器を切り落とした。
再び、メアリー・ベルの嘘によって妨害される警察
首の窪みは見つからず、舌の折れている形跡もなかったため、非常に弱い力で少しずつ絞め殺された窒息死と判断された。これにより「子供による絞殺」であると断定された。子供の力で絞め殺されたため、本来であれば残るべき首に残る痕跡は何も残されていなかった。
疑われた子供たち
ここで警察は、2ヶ月前に亡くなったマーティンも子供の手によって絞め殺された可能性があると疑い始める。結局、スコッツウッドの約1000軒の家を訪問し、3歳から15歳までの約1200人の子供にアンケートを配布した。その中には、正確な犯人であるメアリーと、彼女に付き従ったノーマも含まれていた。
集められたアンケートの中で、最も矛盾した点を持つ回答はメアリーとノーマだった。彼らの証言を重要な参考人として調査を進めるために尋問した際、2人の少女は極めて異常な態度をとり、殺人に関する質問を受けると、彼らの顔にはいつも微笑みが浮かんでいたと言われる。2人の証言は行ったり来たりし、警察をかなり困惑させた。
そして、事件の数日後である8月2日、メアリーは突然尋問官に対してこう言った。「思い出したことがあるんです。草と紫の花が体についた少年が、近くに落ちていた壊れたハサミで猫の尾を切ろうとしていました。それから突然、彼がブライアンに暴力を振るい始めたのです。」
死体の横にハサミがあることは公表されていなかった。彼女の発言を真剣に受け止めた警察は、真犯人しか知り得ない情報を示し、発言した少年に尋問を行った。しかし、容疑がかけられた少年は確固たるアリバイがあり、犯罪を犯すことは不可能であった。ここまで来て、メアリーはついに捜査線上に浮上した。
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メアリー・ベル事件:11歳の少女連続殺人鬼の裁判とその後
長年大人たちの支配下にあったメアリー・ベルが、共犯とされたノーマ・ベルと共に逮捕されました。たった11歳である若きシリアルキラーによって、イギリス中の人々は戦慄しました。逮捕されるまで、メアリーは嘘で警察を誤誘導し続けましたが、逮捕されてもそれは止まりませんでした。
嘘をついて兵器のハサミを知っていた逮捕理由
ブライアンの殺害後、メアリーはマーティンの時と同じように自分が犯人だと主張しました。同時に、「ハサミで殺されたんでしょ? あの子がハサミを持ってたって。 犯人はあの子じゃない?」と周囲を混乱させる発言も行っていました。しかし、この発言が大きな鍵になります。
なぜなら、当時、ブライアンの遺体がハサミで切り裂かれたことは極秘事項でした。別の少年に犯罪を犯させようとする中で犯人だと主張し続けていたメアリーは、ついにその犯罪のために殺人という形で周囲に真実を認めさせることができました。
逮捕された後、メアリーは思い切った変化を遂げ、覚悟を決めます。しかし、事件の大きさに気づいたノーマが全てを警察に打ち明け、全ての真実が明るみに出ました。メアリーが彼女に「殺したことを誰にも話してはダメだよ」と言わせたらしいです。
ノーマはメアリーより2歳年上で、友人関係に少し不安定さを抱え、夫との関係は従者のようなものでした。犯行現場を見せつけられ、犯行を説明するよう要求されたにもかかわらず、直接的な共犯ではないとされて後に釈放されました。
最終的には、メアリーが殺人に関与していたことを認め、事件の詳細について語り始めます。しかし、「全てはノーマがやったんだよ」と話す一方で、凶器となった剃刀を隠した場所もノーマの証言であります。
異常さへの一瞥
ブライアンの呼吸を止めた後、メアリーは亡骸の青ざめた唇をなぞりながら、「それはおもしろかったわ」と呟いたとされています。また、逮捕されたその日の朝、ブライアンの葬式が行われており、メアリーは彼の家の目の前で正面から立ち尽くし、ブライアンの棺が運ばれていくのを大いなる喜びと共に見守りました。
見張り役である検査官は、メアリーの本物の幸せそうな笑顔に戦慄したと後に語りました。もし放置しておけば、近い将来にまた幼い子供の命が犠牲になるでしょう。虫を殺すように、人間の子供を殺すためにメアリーが遊んでいた証拠というのが最も良い証明でした。
感情のない少女と「片面性」
取り調べに同席した看護師は、「その子には全く感情がないように感じた」と語りました。メアリーを検査した精神科医は、「かなり賢かで、非常に戦略的、そして危険だ」と判断しました。これらの特徴は、まさにサイコパスと呼ばれる人格にぴったり合っています。
裁判が始まるまで、メアリーは警察官の監視下で生活していました。ここでも彼女は「裁判官は私に30年の刑を言うのかな?私が裁判官だったら1年半にするわ。殺人ってそんなに悪いことじゃないでしょ?みんないつか死ぬから」と言ったのです。
一時は刑務所に猫が現れた際、メアリーは絞め殺すだけのように抱きしめました。警察官がそれに気づくと、「あ、猫はそんなこと感じないって」と言い、「抵抗できない可愛いものを傷つけるのが好き」とも言いました。このサディズムと罪の意識の欠如こそが、彼らがサイコパスと呼ばれる理由です。
異常な人間性の背後には何があるのか
しかし一方で、彼らは恐怖していた「おねしょしちゃダメよね」と言って、夜中にトイレに何度も行き、全く眠ることができませんでした。過去に必要以上に夜尿症を責められており、おそらくトラウマを受けていたのでしょう。それ以外にも、虐待によるものと思われるうつ病、悪夢、家出、解離性引きこもり障害など、メアリーが成人しても悩まされている症状があります。
また、拘留初日の夜、彼女は自分自身の育ちを示唆する歌を歌ったと言われています。それは、「汚らしいゴミの蓋よ、お父さんが君のやったことを分かってたら、ベルトで君を引っ張ってくるよ」という意味を含んだ非常に明瞭で悲しい歌声だったそうです。
メアリー・ベルの裁判結果
逮捕後、メアリーは11歳の少女とは思えないほどの荒々しさで警察官を挑発しました。「君たち、私に洗脳しようとしてるんでしょ?『弁護士の先生呼んで出て行かせますから』って思ってる?などと難しい言葉を使って巧妙に自分の賢さを見せつけました。
裁判で見せた彼女の異様さ
裁判は1968年12月5日に始まり、12月17日まで続きます。メアリーが当時住んでいた地域では、イギリスの首都ロンドンに本拠を置く裁判所からの巡回裁判の形で行われました。10歳以上の殺人事件に対しては陪審員裁判が行われており、これがメアリーとノーマにも適用されました。
裁判官が法廷に入ると、ノーマは罪悪感と恐怖に満ちた目で両親を見つめました。メアリーの母は、金髪のかつら、濃いメイク、そして露出度の高い女社長のような格好で観客席に座り、これが何度もヒステリーを引き起こし、裁判の進行を妨げました。
メアリーは母の憎悪の前では冷酷でした。裁判の最中、ノーマが涙を流す中、メアリーはパペットのような表情を失わず、巧みな口調で事件を告白し、観客たちを萎縮させました。そして無邪気に笑いながら、それが嘘なのか本当なのか判断できなかった、と証言しました。
メアリー・ベルの有罪判決
メアリーは刑務所でも夜尿症、不眠症、夜間恐怖症に悩まされていました。彼女の姿が物語っている通り、彼女が地獄のような状況で生きざるを得なかったことに対して同情の念は少なくありません。しかし、2人の何も知らない幼い少年を殺害した罪は消えません。
事件を認めて詳細な供述をした後、彼女は「これら全てはノーマがやったんだよ」という供述を覆し、法廷を困惑させました。さらに、最初の殺人であるマーティンの事件については無罪を主張しました。しかし、最終的な判決は2人の少年の殺害罪で有罪となりました。
ノーマ・ベルは無罪
共犯とされていたノーマ・ベルは無罪とされました。メアリーとの交流の中で快楽殺人への共感が生まれたが、犯罪の説明を聞かされ、デモンストレーションを見せられたにもかかわらず、直接的な犯行に加わっていないとされ、心理的矯正の条件付きで同日に釈放されました。
世界中に存在するサイコキラーたち
世界には正常な神経では理解できない残虐な殺人を犯す人々が多く存在します。メアリーのように知的で見た目も優れている犯人や、彼女と似た不遇な育ちが背景にあるケースも確認されています。代表的な例に加えて、日本にもこのカテゴリーに該当する人々が存在することを紹介します。
エド・ゲイン
出典: 私の父はひどいアルコール依存症で、母は狂ったルーテル派の信者です。異常な両親に育てられ、エド・ゲインはアメリカの犯罪史において類を見ない残虐さと異常さで歴史に名を刻んでいます。彼が持っていた母親、アウグスタによる歪んだ「教育」がもたらした最悪の結果と指摘されています。
ジョン・ゲイシー
出典: ジョン・ゲイシーは「IT」というホラー映画に影響を与えたとされる殺人鬼「キラー・クラウン」として有名です。彼もまた不幸な育ちを持つ人物であり、手術不能な部位に脳腫瘍を抱える父の発作的な癇癪によって厳しく扱われ、彼の人格は毎回否定されました。
ところで、あなたは「IT」を観ましたか?この映画を観た人は多いはずで、クラウンの恐怖のイメージが脳裏に焼き付き、離れられない…それとも、元々好きではなかったクラウンに対してますます恐怖を抱くようになったかもしれません。クラウンの不気味な恐怖についてまとめた記事があるので、のぞいてみると良いかもしれません。
少年A
アルコール依存症の世戸ローズによって少年Aと呼ばれる事件は、今でも日本中の人々の記憶に焼きついており、おそらく忘れられないでしょう。事件前よりも問題行動が増え、家族の間に親密さが欠けていたことが犯罪のきっかけとされています。詳細についてもまとめた記事があるので、ここで紹介します。
メアリー・ベル事件のその後
メアリー・ベルは有罪とされました。同時に、完全に歪んでしまった精神ケアも必要とされることが判明しました。しかし、最後になって、メアリーの面倒を見ることができる精神病院は見つからず、彼女はやむを得ず通常の更生施設に送られました。
1980年5月14日(22歳)までの更生施設/少年院で収容
メアリーは少年院と一般刑務所で12年間を過ごしました。彼女の母ベティは頻繁に訪問しましたが、それは純粋な善意ではありませんでした。ベティの目的は、娘の安全を確認するためではなく、彼女の下着の写真を撮り、マスメディアに売ることでした。
保護観察中に女の子を監禁
1980年5月14日、23歳のメアリーは一度保護観察されました。学校を卒業してから、職場を変え、大学に通い始めましたが、すぐにやめました。結局、彼女は年下の男性と交際し、妊娠しました。彼女は1984年に女の子を出産しました。1992年までの保護観察期間中も、子育てが許可されていました。
釈放後、母の元に行く
大学を中退した後、メアリーは何らかの理由で激しく虐待されていた母ベティの元に戻ります。その後、子供を出産し育てながら、別の男性との関係を始め、小さな村に引っ越しましたが、再びベティはメアリーの行方をマスメディアに売りました。
匿名でどれだけ生活していても、母親の金に目をつけたマスメディアに翻弄され、本当の身元を知る近所の住民によってデモが起こされ、平和からはほど遠い生活を余儀なくされました。政府が釈放後の彼女の生活を心配して報道規制をかけても無駄だったと言われています。
娘を縛り続けた母、ベティ
この時期、ベティはアルコールに依存するようになったと言われています。大衆から厳しく非難されても、自分のお腹を太らせるためにベティの考えることはメアリーに関する情報をマスメディアに売ることだけでした。ベティがこの世を去ったとき、メアリーはおそらく真の意味で解放されたのでしょう。
現在のメアリー・ベル
イギリス全土を恐怖に陥れた恐ろしい少女。その後の彼らの人生はどのように始まったのでしょうか?「人間の根本的な性格は簡単に変わることはできない」と言いますが、彼女は性的な罰を受けることなく社会に戻ってきたとき、再び血に手を染めたのでしょうか?それとも、悔い改めて後悔の念を持って毎日を生きているのでしょうか?
名前を変えて静かに生きる
釈放後、彼女は「メアリー・ベル」の名前を隠し、別の名前のもとで静かに生活しようとしました。しかし、報酬を望む母によってその努力は踏みにじられ、再び名前と住所を変更しなければなりませんでした。ここでも、ただ娘を物としてしか見ないベティによって、メアリーは苦しめられました。
成人時に事件を明かす
1998年。ある報道記者がメアリーと他の人々の住所を特定し、何か特別なことを望んでいるかどうか直接たたきつけます。その時まで何も知らなかったメアリーの娘は、この時に母が犯した犯罪について知ることになりました。その時メアリーは成人になった娘をきっかけに元の名前を取り戻し、自分が犯したすべての罪を告白しました。
孫を持ち、祖母になる
メアリーの娘は母の過去を受け入れています。そして2009年、24歳の時に彼女は一人の子供の母となり、子供に対して自分の母親がしたようにたくさんの愛情を注いでいます。こうしてメアリーは51歳の祖母になりました。極度の酸性虐待によって心は折れてしまいましたが、娘を出産することで彼女は人間として大切なものを取り戻せたのかもしれません。
自伝的告白
メアリーの娘が成人になったとき、メアリーは再び自分の本名を使い出しました。可愛らしい娘に自分の許せない過去を明かすと同時に、自伝書を出版するという大きな決断もしました。また、自分と同じような状況にあり、同じ間違いを犯す子供の数が増えないようにという願いもあるかもしれません。
「Soul Cries: Confessions of an 11-Year-Old Murderer, Mary Bell」概要
メアリー・ベルの自伝「The Soul’s Cry」は1999年に出版されました。その内容は、30年以上前の事件を振り返りながら、なぜそんな事件が起きたのかということをメアリー自身が率直に語っています。ここでも、かつて警察官に話した「弱い存在を傷つけることが好き」という言葉を残しています。
謝罪や後悔の気持ちは読み取れませんが、自身の嗜好や罪を明かしているにもかかわらず、嘘をつく癖があるとも言われるメアリーの言葉をどの程度信じるかは読者次第でしょう。もちろん、この自伝の報酬はメアリーの手に渡り、被害者の家族には利益が生まれませんでした。
娘を持ったことで感じた罪悪感
メアリーは母親の愛を受けることなく育ち、逆にゴミ以下の扱いを受けました。破壊された心を正常な精神を持つ人間に戻すことは決して不可能でしょう。それでも、彼女の娘が似たような殺人者にならなかったのは、メアリーの内に残っていた人間性のおかげです。
メアリーは自分自身の子供を持つことで、初めて親が子供を失ったときの気持ちを理解したと言います。泣いて、後悔して、歪んだ価値観の隅に追いやられるような罪悪感に苦しむことは、メアリーにとって最も難しい責められるべきことかもしれません。
自伝からのメッセージを解読する
メアリーが自伝を出版したと聞いたとき、あなたは正直な印象を持ちましたか?かなり嫌悪感を抱いている人は多いでしょう。先に紹介した少年Aの「華麗なる一撃」と同様に、過去の殺人事件で利益を得るメアリーに対して批判的な声が多いのです。
メアリー・ベルとは
メアリー・ベルは、イギリスで起きた衝撃的な事件である。彼女は、わずか10歳のときに2人の幼い子供を殺害したサイコキラーとして知られている。この事件は、世界中で大きな注目を浴び、多くの議論を巻き起こした。
生い立ち
メアリー・ベルの生い立ちは決して幸せなものではなかった。彼女は家庭内で虐待を受け、愛情に恵まれずに育った。幼少期から彼女は過酷な環境に晒されており、その影響が事件へとつながっていったのかもしれない。
保育所
彼女は保育所での生活でも問題を抱えていた。保育士たちは、彼女の異常な振る舞いや嘘を目の当たりにし、彼女の心の状態について深く懸念していた。
嘘
メアリー・ベルの特徴的な行動として、彼女はしばしば嘘をついて周囲を混乱させたと言われている。この嘘が彼女の心理的な問題を反映していたのかもしれない。
逮捕
事件は、彼女がわずか10歳のときに発覚した。彼女は無実を主張し続けたが、証拠が積み重ねられ、彼女は逮捕された。当時のイギリスでは、10歳未満の子供は有罪とされることがなかったが、彼女は11歳になる直前に逮捕され、裁判にかけられることとなった。
裁判
裁判は大いに注目を集めた。専門家たちは彼女が精神的な問題を抱えている可能性を指摘し、裁判所はそれを認めることとなった。最終的に彼女は殺人罪で有罪となり、少年院に収監されることとなった。
サイコキラー
メアリー・ベルの事件は、一部の専門家たちによってサイコキラーの研究のベースとされている。彼女の行動や心理状態は、その後の犯罪心理学の研究に大いなる影響を与えた。
その後
裁判後、メアリー・ベルは匿名の権利を与えられることとなった。その後も彼女の人生は複雑なものであり続けた。しかし彼女は再犯せず、静かに暮らしているようだ。彼女は過去の罪を悔い、愛に満ちた世界を願っていることでしょう。
現在
現在、メアリー・ベルは60歳を超えている。彼女はイギリスで静かに暮らし、執筆活動を続けている。彼女は一人の人間として生きることを選び、事件の影に隠れている。
自伝
メアリー・ベルは、自身の体験を綴った自伝も出版している。彼女の自伝には、彼女の苦難と成長、そして事件についての彼女なりの解釈が明らかにされている。
メアリー・ベル事件のその後と現在
メアリー・ベル事件は、衝撃的な事件であり、今なおその影響は続いている。彼女の選んだ静かな生活は、彼女自身の罪への反省と同時に、今後の社会で同様の事件が起こらないことを願っているのかもしれない。