ロッキード事件をわかりやすく!丸紅ルート、全日空ルートなど詳細まで詳しく解説

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ロッキード事件は、ロッキード社による巨額の賄賂が明るみに出た大規模な汚職事件であり、16人の逮捕や最高裁判所での起訴取り下げなど衝撃的な出来事が続いた。この記事では、事件の概要や裁判の結果、関係者らの動向、謎に包まれた出来事など、ロッキード事件について詳しく解説していく。さらに、アメリカの陰謀説や事件の影響についても探っていく。最新の情報や現在進行中の調査なども紹介する。

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ロッキード事件とは?

ロッキード事件は、元首相などの重要な人物がアメリカのロッキード社からの賄賂によって逮捕された戦後最大の汚職事件です。この記事では、ロッキード事件の概要と真実、さまざまな謎と陰謀論、そしてロッキード事件に基づいて有名になったフレーズの意味について紹介します。

ロッキード事件の概要

ロッキード社は、日本がロッキード社が開発した飛行機の受注を受け入れるようにするために、日本の権力者に3億ドル以上の賄賂が分散して渡されるという事件です。この事件は戦後最悪の汚職事件とされ、さらに現職の総理大臣が関与していたことが日本全体を震撼させました。

ロッキードがばらまいた巨額の賄賂

この企業から日本全国にばらまかれた賄賂の総額は30億ドルに上ります。後に詳しく説明するように、そのほとんどは裕福な人々に渡り、残りは飛行機を販売する中間業者を通じて権力者に渡されました。もちろん、その事実は隠蔽され、しばらく明るみに出ることはありませんでした。

ロッキード副社長が賄賂を暴露

しかし、1972年にアメリカで行われた公聴会で副社長が賄賂について証言したことで、事件は一気に明るみに出ました。彼は賄賂などについて話したい意図はなく、秘密にしていたのですが、「あるきっかけ」によりそれを明らかにするしかない状況に追い込まれました。

首相の逮捕は前代未聞

それを受けて、日本国内でも調査が行われ、田中角栄をはじめとする官僚や金融界の有力者が次々と逮捕されました。特に注目されたのは現職の総理大臣が事件に関与し、退任後も逮捕されたことです。

政界の闇が次々と明るみに

その後、賄賂の話が明るみに出るとともに、事件が整理されるにつれて、政界の闇が次々と明らかにされていきます。蓋を開けると、単なる賄賂事件では片付けられないほどに、錯綜した人間関係や利害が絡み合う場面が広がっていました。

ロッキード事件のその後、裁判の結果は

この波紋を引き起こした事件の裁判結果がどうなったのか、多くの人が知らないのではないでしょうか。この章では、裁判の経過を説明します。また、現在危機に直面しているロッキード社がどうなったのか、そして現在の状況についてまとめています。

逮捕は16人もいた

事件の後の調査には、国会議員や一般市民など500人近くが関与し、そのうち18人が逮捕され、16人が起訴されました。起訴されたのは政治家だけでなく、丸紅やANAなどの民間企業の幹部も含まれていました。1976年の一斉逮捕からここから始まる長期の裁判まで続く道のりを辿ります。

裁判中に16人のうち5人が死亡、起訴は棄却される

しかし、結局、全16人が裁判を終えることはありませんでした。長い間続いた裁判の中で高齢化が進行したため、起訴された人々のうち5人が病気などで亡くなり、公訴は棄却されました。

残りの11人は1995年に有罪となった

そして1995年に最後の被告が有罪判決を受け、20年近く続いた裁判が終結しました。しかし、主要人物が終始証拠を隠滅し、尋問されても「知りません、知りません」と一貫して突き進む中で亡くなったため、真実はまだ把握されておらず、迷宮入りの状態にあります。

ロッキード社はどうなったのか?

ロッキードは別の会社と合併し、現在の社名は「ロッキード・マーティン」となり、航空機の開発に関与しています。最終的には商用航空機からは撤退しましたが、現在は軍用機だけでなく、宇宙開発やミサイル開発など幅広い分野に取り組んでいます。

ロッキード事件に関与した主要人物、商社、航空会社

さて、この事件に大きく関与した重要人物や企業を取り上げ、詳しく見ていきましょう。特に、秘書を除く3人は事件において重要な立場でありながら、何も話さずにこの世を去ってしまったとされています。彼らは一体どんな人物だったのでしょうか。

重要人物① 元総理大臣「田中角栄」

彼は第64代および第65代の総理大臣を務め、その人心掌握能力と指導力は今も高く評価されています。金山事件により総理大臣を辞任した後、ロッキード事件が起き、表舞台からは姿を消しましたが、それでも政界に影響力を持ち続けたため、「ダーク将軍」というあだ名が付けられました。

田中角栄は1918年に新潟で生まれました。若い頃から頭の良い人であり、優秀な成績を収めていましたが、実家が貧しく、早く独立しようと考えていました。そのため、高校には行かずに東京に移り、仕事をしながら夜学に通い、建設事務所を立ち上げました。その後、建設事務所の総務部長から寄付を頼まれ、政界進出の道を歩み始めました。

1949年の選挙で当選した後、次々と党の幹部に選ばれ、周囲の人々にも名が知られるようになりました。そして、1972年に前任の佐藤栄作が福田赳夫を推薦したにもかかわらず、それを乗り越えて首相に就任しました。国内ではインフラ整備などに取り組み、外交でも努力を重ね、日中の国交正常化などの実績を残し、現在も中国によって評価されています。

1972年にはロッキード事件が発覚し、逮捕され、一審で有罪判決を受けましたが、控訴されました。1987年の控訴審判決で却下されましたが、さらに控訴されました。しかし、最終的には1993年に死去し、判決が下される前に公訴は棄却されました。

重要人物② 政界の黒幕「児玉誉士夫」

彼は「この事件のすべてを話したら、日本はひっくり返る」という意味深な言葉を残し、ほとんど何も言わずにこの世を去ったとされる政界の黒幕です。彼は右翼活動家であり、「仕組み屋」とも呼ばれています。政治家ではないですが、政治決定の場に現れると、抗しがたい力を持っていると言われました。

児玉誉士夫は1911年に福島県で生まれました。実家が貧しく、韓国で結婚した姉のところに繰り返し泊まったり実家に戻ったりする苦しい生活を送っていました。そのため、児玉も田中と同様に早く独立を考えていましたが、度々騙されて低賃金で働かされ、多くの脱出を試みては転職を繰り返しました。

この経験から、彼は世の理不尽さに怒りを感じ、やがて国家主義に傾斜していきました。今のままでは何も変えられないと感じた児玉は、「世のためになる何か」を思いつきました。それは、今のままの基本労働者としては何も変えられないということを悟り、直接天皇陛下と直談判するために出てくる場所を襲撃し、逮捕されるという過激な行動を行ったのです。

しかし、その顕著な行動が実を結び、児玉は国家主義者として名を挙げ、同様の国家主義者である笹川良一などとも関係を持つようになりました。そのおかげで、児玉は中国大陸の視察に大きな役割を果たし、さらにその経験を活かして「児玉事務所」を立ち上げました。

その後、中国から戦略物資を購入し、海軍に配送するための専属契約を結び、影響力と財力を確実に高めていきました。戦後、大陸から引き揚げた後は、団体からの資金を基に暴力団の仲介業者としての立場を確立しました。その後、1960年代には、日本最大の右翼団体である「全愛会」の幹部の一人にまで登り詰めました。

こうして地下世界への影響力は揺るぎなく、児玉は“仕掛け人”と呼ばれるようになりましたが、ロッキード事件によって姿を消しました。この事件では多額の賄賂が渡されたとされていますが、秘書によって資料が焼却され、本人も何も話さずに1984年に亡くなりました。

事件の主要関係者③ 榎本敏夫

榎本敏夫は、田中角栄の秘書であり、賄賂を受け取ったのは彼でした。妻からは賄賂の受け取りを過大に言わないようにと忠告されていましたが、警察に問い詰められるとすぐに自供しました。そのため、妻とは離婚し、さらには彼女から隠し持っていた不利な証拠を暴露されることになりました。彼は2017年、91歳で亡くなりました。

事件の主要関係者④ 小佐野賢治

大佐野賢治は田中角栄の友人であり、投資家でもあった実業家です。彼は私たちの顧問弁護士を通じて知り合い、以来親しい関係を保ってきました。幼い頃から経済的な才能と事業の勘を持つ人物であり、兵役を終えるやいなや事業を立ち上げ、成功を収めました。海外のホテルに目をつけ最初に事業展開したことから「ホテル王」とも呼ばれています。

彼はANAや日本航空の大株主と言われ、この事件にも関与している可能性がありました。しかし、証人尋問での口癖となった「覚えていない」という言葉を繰り返し、結果として真実を話さなかったと言われています。これは友人を守るためであったとも言われています。彼は偽証罪で起訴されましたが、1986年の裁判中に亡くなり、公訴は棄却されました。

重要な商社「丸紅」

当時、航空機の販売代理店である総合商社であり、現在も7大商社の一つとして存在しています。現在の社長は国分文也で、単体での資本金は2626億円、従業員数は4379人(連結ベースでは38,830人)という大手企業です。事件当時の社長は檜山弘で、逮捕、起訴、有罪判決を受けました。

重要な航空会社「全日本空輸」こと「全日空」

全日空の略称で呼ばれることが多いですが、正式名称は全日本空輸です。事件当時、複数の政府関係者に賄賂が配られたことから問題となりました。社長の若狭朋和氏を含む6名の社員が逮捕・起訴されましたが、執行猶予付きの有罪判決が下されました。

ロッキード事件が起きた理由は何だったのか?

ここからは、なぜこの事件が起こったのかについて詳しく説明していきます。事件の背景には激しいシェア争いや会社の命運を賭けた必死の販売戦略がありました。しかし、彼らは後にこの事件が世界を巻き込む大きな事件に発展するとは思ってもいなかったでしょう。

ロッキードの業績不振が始まる

私たちの会社は軍用機の製造に注力していましたが、第二次世界大戦やベトナム戦争の特需により業績を伸ばしていました。しかし、戦争が終わると需要が減少し、戦争が終わった直後から赤字に転落しました。軍用機の開発だけでは十分ではない時代になっていたのです。

ロッキードとは何か?

ところで、「この会社の名前はよく聞くけど、実際に何をしている会社なのかよくわからない」という人もいると思います。簡単に言えば、私たちの会社は1913年に設立され、飛行機の製造・販売を行っていました。当時の軍需産業で高いランキングを誇る兵器産業であり、現在も企業規模ではボーイングに次ぐ2位です。

他社との激しいシェア争い

私たちは現在、業績を着実に伸ばしていますが、当時は衰退する業績を回復するために必死に商業航空機の開発に取り組んでいました。しかし、彼らはジェット機の波に乗り遅れており、既にジェット機の人気により競合他社に敗北していました。そのため、自社で開発した「トライスター」というジェット機の販売はうまくいかず、業績の更なる低迷に陥りました。

ロッキードのばらまかれた賄賂

絶体絶命の状況に追い込まれた会社が提示した解決策は、自社製品の導入のために賄賂を贈るというものでした。当時のアメリカでは、契約締結に余分な金銭を支払うことは合法であり、何の問題もありませんでした。

ロッキードが国に届けるために賄賂を使う

とにかく彼らは自社の航空機を売るために世界中に賄賂をばらまき始めました。アメリカでは合法であっても、これは日本だけでなく他の国々でも問題となり、後に新たな法律が制定される契機ともなりました。

日本にばらまかれた莫大な賄賂

賄賂を使った契約獲得の戦略は日本にも広がりました。これは、海外旅行ブームにより様々な航空会社が新しいジェット機の導入に乗り出しているため、当時の日本にはこのような独自の機会がありました。

ただし、既に競合他社との契約が決まっていたため、日本航空がやや遅れていたという感覚もありました。そのため、ANAが自社製品を導入することを確実にするため、30億円に分割された莫大な賄賂が渡されました。

ロッキードからの賄賂が流れた3つのルートは何か

先ほど述べた通り、3つのルートが存在しますが、1つは航空機販売代理店へ、もう1つは機体導入を望むANAへ、最後は個人の児玉誉士夫に渡されました。このうち、特に児玉ルートには多くの謎が残されています。

ルート① 丸紅ルート

このルートでは、田中角栄に5億円が贈られました。当時はすでにANAの商品が選定されることがほぼ確定していたが、丸紅の航空部の部長は「念のためANAに渡した」と証言しています。さらに「500億を渡したのは自身の提案だった」とも述べました。

さらに、彼は「P3C(アメリカが開発した軍用機)の導入のためでもある」とも言っています。後の章で説明しますが、関係者の供述書にはこの言葉がよく登場します。したがって、この大規模な汚職事件は単に航空機の販売のためだけでなく、新たな軍用機の販売のためでもあったのではないかと言われています。

ルート② 全日空ルート

航空機購入時の手数料という名目で、全日空にも2億円が支払われました。ANAはその一部を交通関連の政治家や官僚に回し、会社に政治的な優位性を持たせることになりました。これが委任された贈収賄罪の疑いとなり、運輸次官や政府対策室といった関係者が逮捕・起訴され、有罪判決を受けました。

ルート③ 児玉ルート

最後のルートは児玉ルートですが、莫大な21億円もの賄賂が個人の手に渡りました。これは日本への軍用機の販売のためのコンサルティング料とされましたが、なぜこんなに多額の金額が支払われなければならなかったのでしょうか?これはおそらくアメリカの真の目的がこの軍用機の導入であったためと言われています。次の章で詳しく説明します。

ロッキード事件をわかりやすく!

ロッキード事件は、昭和40年代に起きた大きな汚職事件です。この事件には商社や航空会社が関与しており、賄賂のやり取りが行われたとされています。

ロッキード事件の概要

ロッキード事件では、アメリカの航空機メーカーであるロッキード社のP3Cという航空機の輸入が問題となりました。アメリカはこのP3Cを日本に売りたいと考えていたといわれていますが、なぜアメリカがこの航空機を売りたがったのでしょうか。

アメリカがP3Cを売りたかった理由には、日本が独自に開発しようとしていた対潜哨戒機の開発費用が高額になる可能性があったためと言われています。日本には他国への売却で開発費用を回収することができないという方針がありましたので、ロッキード社に依頼することで開発費用の回収が可能になると考えたのです。

P3Cとは何か?

P3Cは対潜哨戒機の一種であり、潜水艦を発見・攻撃するための航空機です。従来は発見と攻撃に別々の航空機が必要でしたが、P3Cでは一つの航空機で対応することができるようになりました。また、低空飛行で長時間飛行することができるという特徴もあります。

ロッキード社と児玉誉士夫の関係

ロッキード社と児玉誉士夫との関係は古くからありました。児玉はアメリカとの関係改善を図るため、グラマン社のF11戦闘機ではなくロッキード社のF104戦闘機の導入を進めました。その結果、F104は採用され、児玉はロッキード社にお礼をしなければならなくなりました。このことがきっかけで、児玉とロッキード社の関係は深まったのです。

ロッキード事件の謎

ロッキード事件にはまだ多くの謎が残っています。しかし、事件の真相を解き明かすことができる人は誰もいないため、謎は謎のまま、暗闇の中に取り残されています。

ロッキード事件のその後

事件が明るみに出た直後、児玉の元通訳が病死し、田中の運転手が自殺しました。特に自殺には多くの疑問が呈されており、関係者が証拠隠滅のために自殺させたのではないかと言われています。

ロッキード事件の陰謀論

ロッキード事件にはさまざまな陰謀論が存在します。その中の一つには、アメリカの石油会社が関与しており、田中角栄を倒すために事件を起こしたというものがあります。

また、田中角栄が中国との国交正常化を進めていたことがアメリカの不興を買ったため、アメリカの陰謀で事件が仕組まれたとする説もあります。さらに、田中角栄の中国との関係に反対する日本の右派と警察が手を組んで事件を引き起こしたという説も存在します。

さらなる陰謀論として、田中角栄の後継者である三木武夫が関与しているという説もあります。三木は人気を得て内閣の寿命を延ばすために事件を利用したとされています。

現在も多くの陰謀論が囁かれていますが、真相は闇の中に埋もれたままです。

ロッキード事件の重要な証拠が流出した

賄賂に関する重要な証拠が公聴会において誤って送られたため、賄賂のやり取りが明るみに出たと言われています。このような明確な証拠が公聴会ではぐらかされてしまったのは、誰かが仕組んだのではないかと疑念が残っています。

ロッキード事件は、日本の政治家や企業関係者がアメリカの航空機メーカーであるロッキード社から賄賂を受け取ったとされる汚職事件です。アメリカ当局が行った捜査により、事件は明るみに出ました。この事件は、複数の商社や航空会社にも波及し、世界的な注目を浴びました。

ロッキード事件の影響

ロッキード事件は、日本とアメリカだけでなく、他の国々にも影響を与えました。この事件を受けて、アメリカでは1977年に「外国腐敗防止法」が制定され、商業目的での賄賂が禁止されました。また、この事件がきっかけとなり、他の国々でも同様の問題が明るみに出ました。

ロッキード事件のその後

この事件に関与したアメリカ側の人々は、最終的には起訴されませんでした。アメリカでは起訴の是非を検討した後に有罪を求めるかどうかを決定する「prosecutorial expediency principle」という方法が特例として使用されたためです。しかし、正当な手続きを踏まずに得られた証言に証拠能力があるのか、アメリカ側が重要な証拠を隠蔽したかったためではないかという議論が巻き起こりました。

ロッキード事件の謎とは

この事件には、いくつかの謎が残っています。例えば、捜査を担当した検察側は、証言の場所が嘘であり、密談が行われたという指摘を受けています。また、検察側が児玉誉士夫の経路などに力を入れすぎていることも、政治化された裁判ではないかと批判されています。

ロッキード事件の有名なフレーズ

この汚職事件は、人々の関心を引きつけました。事件の裁判や関係者の状況が毎日報道される中、いくつかの印象的なフレーズが人々の心に残り、やがて流行語となりました。

ロッキード事件に基づく作品

ロッキード事件にはまだ多くの謎や隠された真実があり、人々の好奇心と想像力をかき立てました。この事件を基にした多くの作品が発表され、さまざまな議論がなされました。

ロッキード事件を最後に簡潔にまとめる!

ロッキード事件は、戦後最大の汚職事件と言われており、40年経った今でも書籍やテレビ番組で取り上げられ続けています。商社や航空会社との不正な取引、賄賂の疑惑などが浮上し、事件の真相は未だに明らかにされていません。

ロッキード事件の概要

この事件は、アメリカの航空機メーカーであるロッキード社が、日本の航空自衛隊向けにP3C哨戒機を売り込む際に、政治家や幹部官僚に賄賂を渡したとされています。児玉誉士夫元首相も、この事件に関与していたとされています。

ロッキード事件のアメリカの陰謀説

事件が発覚してから、アメリカの陰謀説や怪死事件の噂がささやかれています。しかし、いまだに真実は明らかにされていません。隠された証拠の公開などによって、いつか真実が明らかになり、事件の解決につながることを願わずにはいられません。

田中角栄元首相の無実を疑う視点

この事件について、筆者は長い間疑問を抱えており、実際に田中角栄元首相は無実ではなかったのかという視点からインタビューを行っています。事件当時、マスメディアや一般の人々も疑うことはなかったこの事件について、無罪を主張するフリーランスのライターの苦闘が垣間見えます。

ロッキード事件のその後と現在

この事件の真相が明らかになる日が来ることを願わずにはいられません。未だに続く疑惑や謎に対して、隠された証拠が開示されることで、事件の解決につながることを期待しています。現在もこの事件は取り上げられ続けており、結末や現在の状況について、さらなる情報が待たれています。

結論:ロッキード事件のまとめと現在の状況

ロッキード事件は戦後最大の汚職事件として知られ、現在もその真相は明らかにされていません。アメリカの陰謀説や疑惑についてはさまざまな噂がありますが、いまだに解明されていません。しかし、この事件を取り巻く状況や真相を明らかにするための情報が続々と出てくることを期待しています。

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