ルーマニア事件とは?益野友利香の悲劇。アイセック・ジャパンとルーマニアの治安の現状を追う

事件・事故
事件・事故
PR

ルーマニア事件の概要や益野友利香さんの悲劇を紹介します。

アイセック・ジャパンを通じてルーマニア入りし、タクシーで犯人ニコライ・ブラッドに遭遇しました。事件後、SNSでの不安な投稿や批判が浴びせられる中、ルーマニアの治安や現状にも触れます。反政府運動や治安の低下もありますが、現在は犯罪のリスクが低下し、厳重な警戒も行われています。自己責任も重要ですが、ルーマニア事件の悲劇を忘れず、安全な旅を心掛けましょう。

PR

ルーマニア事件とは?

ルーマニア事件は、2012年に起きた日本人女子大学生の強姦殺人事件です。ルーマニアで起きたため、ルーマニア事件とも呼ばれます。この事件によってルーマニアは危険な国として広く認識されるようになりましたが、私の印象はこの事件によって劇的に変わりました。この記事では、ルーマニア事件の詳細をまとめます。

ルーマニア事件の概要

ルーマニアの首都ブカレストから遠く離れた山林で、2012年8月19日に女子大学生が強姦され殺害されるという事件が発生しました。被害者はたった20歳の若者であり、彼女が何か恐ろしいことが起こるとは思ってもみなかったでしょう。鞄を運んでくれる運び屋の言葉を信じて、そのまま連れ去られたのです。

ルーマニアの治安とルーマニア事件

ルーマニア事件は、ボランティアとしてルーマニアを訪れたにも関わらず、残忍な形で殺害されたことから、考えていたよりも安全だと思われていた国の治安を示しています。この事件を背景にさまざまな意見が持ち出されましたが、詳細を紐解くと、惨めな現場とともに戦慄を感じることでしょう。サービス活動であるはずのボランティアとその危険性にも、当時の反応に驚かされる光景も含めて、全体像を見てみましょう。

ルーマニア事件の被害者・増野友利香さん

増野友利香さんは、東京都渋谷区の聖心女子大学に通っていた2年生の英語専攻で、キャビンアテンダント(CA)を目指していました。ボランティアには熱心で、NPO団体への参加にも前向きな姿勢を持っていました。

アイセック・ジャパンの斡旋でルーマニアに入国

増野友利香さんは当時、世界100カ国以上にネットワークを持つ大規模なNPO団体であるアイセック・ジャパンに所属する可能性がありました。キャビンアテンダントを目指しており、主に若者を中心に活動する組織からのコメントを受け取った後、通訳として働いていました。そのため、2か月から1年半ほどの間に知識を学ぶために利用できるシステムを利用したと言われています。

アイセック・ジャパンは実際には学生団体であり、国際的に認知されにくい場所に所属していたため、セキュリティの悪い場所でも一人で行くリスクがあり、様々な費用などがかかる場所でした。しかし、時間的な制約や他のシステムが良かったことから、国際的に活躍したかった彼女にとっては望ましい制度かもしれません。自分の夢のために実質的なコストを払ってでも向上したいと願う若者たちにとって、望まないチャンスだったかもしれません。アイセック・ジャパンの斡旋システムを利用してボランティアとしてルーマニアに行きました。

ルーマニア事件のは何故おきた

兵庫県の宝塚出身で、アクティブな女子大生だった益野友利香さんは、絶えずTwitterを更新していた20歳の女性です。ブカレストに近づくにつれて不安を感じ、SNSに投稿していました。しかし、それが事件に発展するとは誰も思っていなかったでしょう。

緊張が高まり、無事に身につけることができるかどうか、突然不安に思ったことが明らかになっています。彼が最初の場所で堂々と行動していたとしても、実際には孤独で不安だったのです。今はアカウントは持っていませんが、開けて調べる人間もいたくらいです。最近では、その姿はもう映像でしか見られません。

ルーマニア事件の犯人「ニコライ・ブラッド」

ルーマニア事件では、犯人は早い段階で逮捕されました。彼らは窃盗から強姦や殺人まで他の事件にも関与していましたが、それら全てに対する証拠が不十分であることも判明しています。では、益野友利香さんの場合、なぜ犯人はこんなに早く見つかったのでしょうか。

そこで、目撃者の証言や防犯カメラの映像も活躍しました。もちろん、最初に気づくことがなかったとしても驚くことではないかもしれません。しかし、犯人がどれだけ慎重であっても、見つかったときは思わぬ展開になることが明らかにされています。

容疑者として逮捕されたニコライ・ブラッド

目撃者がいたことや彼らの姿が防犯カメラの映像で示されたことが逮捕につながりました。ニコライ・ブラッド(当時25歳)が容疑者として逮捕された際、悲しい現実が明らかになりました。逮捕後の供述で明らかになったことには、目を覆うものがありました。

ブカレストの森で犯行が行われた

ルーマニア事件の犯行は、ブカレストからあまり遠くない森で行われました。しかし、夜遅くになることもあるため、確かに誰も気づきませんでした。服は引き裂かれ、暴力的な殴打があった兆候がありました。強姦と殺人後も、ひどいことをしたことが分かります。

さらに、殺害後には金品や物品が盗まれたほど、無茶な行為が森の中で、しかも夜間に行われたため、周囲には気づかれませんでした。空港から車で約5分程度の距離にあるのに、森に入ると誰も気づかないのです。叫び声を聞いたりするような暗闇で犯行が行われた証拠はありません。

逮捕の決め手は被害者の携帯電話

容疑者のニコライ・ブラッドを逮捕したのは、目撃証言だけでなく、犯行直前まで益野友利香さんがTwitterを更新していたことがわかっています。しかし、犯行現場には携帯電話がありませんでした。逮捕された犯人は、益野友利香さんの携帯電話を所持していた状態で逮捕されました。

これはおそらく、日本の電化製品が海外で高い値段で売れることや、高い価値を持っていることから起こったものでしょう。したがって、目撃証言や防犯カメラの映像だけでなく、被害者が携帯電話を持っていたという事実も逮捕の決め手となったと言えます。

犯人のニコライ・ブラッドは終身刑に

ルーマニア事件で逮捕されたニコライ・ブラッドは、死刑には処されません。これは国によって異なるため、死刑制度を採用していない国も存在します。特に、ほとんどのEU加盟国では死刑が廃止されています。もちろん、死刑が廃止されている国はEU加盟国に限られません。

ルーマニアにおける制度の中で最も重い犯罪とされているのは、終身刑です。ニコライ・ブラッドも例外ではありません。残忍な殺人事件ですが、規定に従えば強盗、強姦、殺人であることは間違いありませんが、2013年3月7日のルーマニア第55条(1)に基づく判決は終身刑でした。

ルーマニア事件で発見された残虐な遺体

発見された益野友利香さんの遺体は、想像を絶する状態であり、見ても考えても想像を絶するものでした。強姦や殺人が絶えなかったルーマニア事件では、遺体に相当な被害があったと言えます。解剖結果によれば、絞められた形跡はあるとされていますが、他の不幸もあります。

口腔内や膣内だけでなく、肛門内部にも損傷があったのですが、発見された遺体にはより残酷な傷跡が残されています。発見時の状況から、恐ろしいと言える状況が明らかにされました。

強姦だけでなく拷問もされていた?

発見された遺体からは、強姦だけではないと考えられるものがあることが明らかになりました。耳や鼻、目などが無理やり突き刺された痕跡も見つかったということです。

眼球はレンズが損傷されるほどの状態であり、さらに大腿骨や胸骨、骨格骨など多くの部位に損傷があったため、縛られていたのは間違いありませんし、圧迫や壊死の痕跡からは死後に強制的に強姦された可能性があることが分かります。

遺体に損傷が見られることから、それが生前に行われたとは考えにくく、残虐性が一層際立っていると言っても過言ではありません。右乳首からはDNAが検出されなかったほど、凶悪さは極めて凄惨であったとされます。その正体は動物によって食べられた可能性もあると供述が示唆していますが、真相ははっきりとしていません。

残虐性は次々と明らかに

ルーマニア事件の残虐さはまだ収まることはありません。犯人の狙いがあらゆる方向に向けられていたことがわかります。とんでもない行為の後、命だけでなく、財産も奪われたのです。私は心身共にあまりにも大きな苦しみを経験しましたが、財布すら持っていませんでした。

すべてを取りカメラさえも盗まれた犯人。被害者を完全に無視する行為は、言葉で表現できないほど「みじめ」な気持ちにさせます。お金や物品、携帯電話も奪われましたが、デジタルカメラなどの貴重品も持ち去られました。

ルーマニア事件後、アイセック・ジャパンに批判が集まる

ルーマニア事件では、犯人だけでなく、NPO法人であるAISEC Japanの体制も問われました。一人での海外渡航など国際的な認知度が低い組織としてAISEC Japanは捉えられています。学生限定の組織であることから当然問われるのは責任の問題です。

AISEC Japanという組織にも責任が向けられましたが、全く関与しない姿勢を取っており、拒否の体制でした。しかし、メディアからの問い合わせに対しても全て関与しないという態度です。

アイセック・ジャパンへの非難の声

アイセック・ジャパンから聞かれた多数の声の中には、学生が運営しているにも関わらず、NPO組織としての責任を持つべきだとする意見がありました。すべて自己責任で行動しなければならないとする非難の声が集中し、知らない土地へ一人で行くこと自体がおかしいという指摘もあります。

無責任な対応に対する非難の声が響く中、政策のあり方も問われています。無責任な対応がどうやって行われるのかと問いただすことで、国内でも人々の怒りを買う結果となっていることは明らかです。現在は経営方法も変化し、1500人以上の学生が在籍しています。

地元メディアは増野友利香さんを批判?

ルーマニア事件における悲しみの中で、更なる刺激もありました。それは地元のメディアの報道です。夜のポーターを名乗っても初めての場所を一人で訪れ、知らない人について行くことの方がより危険だと言うのです。確認を怠ることにも一切過失はないとは言えません。

言っておくが、ボランティアとして訪れた地でガイドがついていたことを心強く感じる友利香さんに対して、彼女だけが悪いわけではないし、当然、犯人の責任が悪いのは当然だ。事件での責任問題は問われているが、彼女だけが叩かれる対象ではないことは確かだ。

犯人が行った行為の多さに基づくと、非常に残忍なのは間違いありません。治安の問題も浮き彫りになったと言えるでしょう。

ルーマニア事件当時の治安

ルーマニア事件で明らかになったのは当時のローカルセキュリティの問題です。旅行する際には注意が必要です。EU加盟国が安定しているという考え方があるが、それは何か違和感があると言える状況だったと言えます。

特に2012年はまだ不安定な時期と言ってもおかしくありません。今でも知られていることですが、安心して訪れることができる国はどこもないというリスクがあります。

国民総所得は63万円、EUで最低レベル

当時のルーマニアの国民の豊かさを示すGNI(国民総所得)が8,000ドルであり、日本円で63万円というEU加盟国の中で最低レベルであったことも明らかです。比較的に同じEU加盟国でも、2012年時点でオーストリアでは47,000ドル、日本円で370万円でした。

国によって差はありますが、比較すると相当な格差があることがわかります。最低レベルであるからと言って、犯罪が起きることが安全ということには繋がりませんが、当時の日本はかなり裕福に映っていたのかもしれません。

民主化以降、なりすましによる事件が多発

民主化以降の話ですが、為替詐欺やすりなどお金に関連するトラブルが多発した状況があったことは間違いありません。ルーマニア事件が起きた時代には絶対にあり得ない状況でした。いわゆる「なりすまし」によってポーターなどを装っていたとされています。

空港などで監視はされていましたが、頻繁な事件が起きた確率も高かったと言っていいでしょう。特に犯罪に関してはお金に関わることが多いのは否めないです。

旅行者を狙った事件も起きていた

旅行者を狙った犯罪は特に多かったです。お客引きなどを装っていたいわゆる「ギャング」が未知の地に慣れていない人々を狙っては横行していました。現地の人々に頼らざるを得ない経験をした旅行者にとって、理解できないことは現地で聞いた言葉ですぐに国に帰れないということで逆に犯罪につながることもあります。決して許されることではありません。

ルーマニアの治安は現在どうなったのか

ルーマニアの治安は、2012年のルーマニア事件以降どのように変わったのでしょうか。貧しい治安に関する話は簡単には消えません。みんなが悪い人ではないことは明らかですが、他の国と同様にスリや強奪犯も存在します。

車両の破壊、略奪なども横行しています。経済格差のため、殺人のような悪質な事件が避けられない状況と言えるでしょう。すべての国が同じではありませんが、優しさだけの問題ではありません。

空港への出入りに制限あり

ルーマニア事件以降の一番の変化として挙げられるのは、制限が設けられたことです。空港周辺では運び屋などの集団が横行しており、その一部だけですが問題となっています。彼らは簡単には消えないため、それに対する対策としてタクシーも制限されるようになったのです。

以前は白いタクシーも横行していましたが、今では空港に入ることができるタクシーに制限がかかっていると言えるでしょう。白いタクシーは許可なく顧客を運ぶことで営業していましたが、現在は限られた数のタクシーのみが空港に入ることができます。

ルーマニアの危険度は下がった

取り返しのつかない痛ましいルーマニア事件。しかし、それ以降のルーマニアについて言えることは、当時に比べてグローバルなリスクが減少したと言えるでしょう。状況は変わっており、注意が必要な点は多々ありますが、2012年と比較すると国家レベルでかなり下がったことは確かです。

グローバルな基準で見ても、ルーマニアはかなりの程度でリスクレベルが下がったと言えるでしょう。他にも注意が必要な点はありますが、野良犬が問題となっています。野良犬が多いという話があり、注意が必要です。

2023年現在も危険な地域は存在する

ルーマニアのリスクレベルは低下しましたが、危険な地域も存在するため、注意が必要です。ブカレスト北駅に近いですが、他の地域が今安全であるとは言えません。夜に外出するとどこでも危険が潜んでいます。デモや夜の施設だけでなく、繁華街でも問題があります。

ルーマニアに限らず、知らない土地ではどの誰ともついて回ることは大切です。一人では安全であることはありませんし、「知らない土地」であると認識する必要があります。忘れてはならないのは、どの国においても危険が関わっている可能性があると言えることです。

2012年にはルーマニアにて反政府デモが発生

ルーマニア事件の前には、2012年1月に反政府運動(デモ)が激化していました。彼らは旅行者ではなく、国内の状況がかなり悪化していたと言えるでしょう。参加者数が1万人にも上るデモは、益野友利香などと呼ばれるようになりました。

ルーマニアでは当時の首相が辞任する事態に

そのデモは、参加者たちからのけがや死者が出るほど激化しました。国内の状況は安定していたとは言い難く、88人が負傷し、1人が死亡したという状況です。

その混乱を受けて、当時の首相が辞任した事態となりました。痛ましいルーマニア事件は、安定していたとは言えない状況下で発生しました。

日本でも2012年に大きな事件が発生

ルーマニア事件が話題となった同じ年に、日本でも最も騒がしい事件として捕飲所事件で逃亡中の容疑者であった高橋哲也(当時54歳)の逮捕が注目されました。彼は1995年の地下鉄サリン事件や目黒公証人事件の差し押さえ、茨城県塙田拘置所事務室長監禁事件などに関与したとされる重要な人物です。

一人ずつ逮捕されていく中で、高橋哲也は最後の一人だったと言われています。そして、ここから本格的な裁判が始まったと言えるでしょう。遠く離れた日本とルーマニアという国がありますが、2012年に話題となった数件の事件を紹介したいと思います。

地下鉄サリン事件で運転手を演じた高橋哲也

地下鉄サリン事件では、130人が起訴され、うち5人が終身刑、13人に死刑の判決が確定しました。地下鉄サリン事件では、拡散した実行犯の運転手として当時44歳の豊田亨が手配されていました。逮捕後の「幹部の指示のもと行った」という供述を認めたため、手配されていた犯人全員が逮捕されることになります。

特別に手配されていた高橋哲也も終身刑の判決を受けることになります。一気に裁判が加速したと言ってもおかしくありません。

他の日本で発生した事件に関心がある場合は、こちらもチェックしてみてください。

ルーマニア事件を忘れてはならない

ルーマニア事件は一人の問題ではありません。最近では海外旅行時の治安問題が軽減されてきたと言えるでしょう。ただし、何の知識も持たず、簡単に考えることはどの国でも危険です。少しでも注意を払うだけでなく、どこでも危険が潜んでいることを理解することが必要です。海外から来る人に周りの人が注意を払うように、旅行時も注意が必要です。

海外が悪いわけではなく、あらゆる場所に危険が潜んでいると言えます。恐ろしい出来事に遭遇しないように注意することも必要です。自身を守るためにも、ルーマニア事件を忘れてはならないのです。

PR
Insta-Read
タイトルとURLをコピーしました