「ひかりごけ事件」は検索してはいけない?食人の全貌と船長のその後。あなたならどうする?

事件・事故
事件・事故
PR

1944年に北海道で発覚した「ひかりごけ事件」とは何か?

小説や映画にもなったこの事件では、初めて食人行為が裁かれたが、船長の判決については倫理的な問題も浮上している。

本記事では、事件の詳細や裁判の経過、そしてウルグアイ空軍機571便遭難事故との類似点など、さまざまな側面からひかりごけ事件を探っていきます。また、倫理観やエチカルな問題についても考察します。

PR

ひかりごけ事件とは?

ひかりごけ事件は、1944年に北海道で発生した食人事件です。船が難破し、食料に困った船長が死亡した乗組員を食べた事件であり、食人事件として初めて裁判にかけられたことでも話題となっています。今回は、ひかりごけ事件の詳細やその名前の由来、そして船長が受けた裁判について紹介します。

検索してはいけない?小説や映画化もされた「ひかりごけ事件」

インターネットでかなり有名な話であり、一度はその名前を聞いたことがある人も多いかもしれません。この事件は、主に恐怖のストーリーや凶悪犯罪の要約として取り上げられることが多いですが、実際には一体何なのでしょうか。

まず、発生した出来事の概要や日時、場所、事件の経過について紹介します。

また、「ひかりごけ事件」はそのグロテスクさからネット上では「検索してはいけない言葉」としても有名になっています。

検索してはいけない程の悲惨な事件。一体その全貌はどのようなものだったのでしょうか?

1944年に発覚した死体損壊事件とひかりごけ事件

この事件の通称は、この事件を元にした小説のタイトルからきています。これは、寒冷な冬に戦時中の北海道で知らず知らずのうちに起きた不幸な船難から全てが始まりました。

当時29歳の船長と船員1人の2人だけが何とか見つけた小屋で必死に生き延び、周囲が晴れるのを待っていました。しかし、決して明けない吹雪の中、2人は食料も少なく弱り続け、ついに船員が死亡してしまいました。

船員が亡くなった後、船長は苦しんだ末に死体を食べて生き延び、後に発覚した際に逮捕されて起訴されました。この事件の裁判は内密に行われましたが、噂やその噂を元にした小説「ひかりごけ」が世に出回ったことで広まっていきました。

裁裁かれた唯一の食人事件

「食人」という言葉を聞くだけで何となく嫌悪感を感じる人もいるかもしれませんが、先史時代から人が人肉を食べる行為は世界各地で行われてきました。

それは風習や宗教、性癖などさまざまな理由がありますが、日本には現在、その行為を判断する法律は存在しません。この行為は戦時中に頻繁に行われたとされていますが、これが裁判に至った唯一の事件です。

ひかりごけ事件を時系列でわかりやすく解説

では、事件の凶悪犯罪の加害者となった彼がどのようにしてその行為に至り、公に発覚して起訴されるまでの経緯を辿ってみましょう。

12月3日に小樽に向けて出航した徴用船「第五清進丸」の行方不明

終戦の直前の冬、輸送船不足から軍需品を運んでいた民間船だった第五清進丸が北海道沖で消息を絶ちました。冬の北海で消息不明になるということは、海難や海に落ちる可能性が高いことを意味し、つまりは死を意味します。

捜索は困難を極め、戦時中の忙しい時期と吹雪がいつまで経っても止むことなく、全ての第五清進丸船員の生存を諦めることとなりました。

2ヵ月後、藁の衣装を身にまとった男が助けを求めるため老人の家にやってくる

船が沈没して2ヵ月が経過し、信じられない寒冷地であるため一瞬で死んでしまうような薄手のわらでできた貧しい服装を身にまとった若者が魚の村の家に突如入ってきました。その家の住人たちは地元の人々であり、そこでの冬の厳しさをよく知っていたため、非常に驚きながらも若者を歓迎しました。

若者はそのまま追い出せばただ死ぬだけであるほど弱っていたため、結局は自身について語り始めました。彼が消息不明になった船に乗っていたと言ったということです。

その男こそ徴用船「第五清進丸」の船長だった

彼は自身が船長であったと言いました。第五清進丸が沈没した後、彼は何とか岸にたどり着き、凍える寒さの中でも体を動かすことに成功しました。幸いにもそこにはマッチとごく少量の食料しかなかったと言いました。この状況で貧弱な小屋で生き延びることができたというのは、まさに奇跡と言えるでしょう。

彼は称賛を受け、歓迎され、地元の人々から大いに保護されました。

ひかりごけ事件の謎

彼は地元の人々によって保護され、故郷に戻ることができましたが、その奇跡的な生還にはいくつかの謎がありました。その謎について整理していきます。

過酷な海と激しい寒さの中でどのように過ごしたのか

彼が過ごしたのは、どんな生命でも凍えてしまう死の世界でした。そんな状況下で、いかにして生命の灯を消さずにいることが可能だったのでしょうか?わずかなマッチ火で人は本当に生き延びることができるのでしょうか?

特に、一度海に落ちれば体温はかなり奪われていたはずです。その中でも生き延びることができたというのは、まさに奇跡としか言いようがありません。

海藻などが流れてこない場所で何を食べたのか

冬の寒冷地では人間だけでなく、生命が住めるのはほんの一握りです。また、海も非常に荒れており、海藻をはじめとする動物を手に入れるのは容易ではありませんでした。

そんな状況下で約60日間も生き延びることが本当に可能だったのでしょうか?体力も落ち、海に落ちたことで体温が下がってしまった中で、何らかの栄養源なしでは生き延びることはおそらく不可能でしょう。徐々にこうした疑問を抱く人々も増えていきました。

ひかりごけ事件の真相が明らかに。食人で生き延びた?

一般の人間ならばたちまち命を落としてしまうような極限の状況で生き延び、しばらくは英雄のように扱われていました。

しかし、この英雄的な物語の裏には恐ろしい事実が隠されていました。

食人はこの時代には普通だった?

1940年の後半、日本は戦時中にありました。戦況が次第に悪化し、日本政府の無謀な指令により兵士たちが戦場で餓死し、人肉を日常的に食べていたという話もあります。

そんな中で、なぜこの事件だけが取り上げられ、裁判が行われたのでしょうか?その理由についてご紹介します。

「ひかりごけ事件」現場を捜索すると…

春が訪れ、深い雪と氷に覆われていた北海道周辺の海も少しずつ落ち着きを取り戻していました。この悲劇の舞台となった荒れ狂う海も落ち着いてきました。人々は海に近づいて漁を始め、事件の真相に疑義を抱く人物が、かつて過ごした小屋を訪れました。

しかし、小屋を訪れた人々は小屋の様子が奇妙であることに気づきました。暖かくなるにつれ、小屋の中に充満する奇妙な臭いが漂っていました。その臭いの出所を探ると、魚のような匂いの土のようなものがありました。

人骨などが発見され、船長は死体遺棄などの罪で逮捕

なんと、人の骨が箱に詰められたまま放置されていました。それだけでなく、おそらく調理のために剥がれた皮もありました。頭蓋骨は壊れ、中には脳が残っていませんでした。この意味を悟った人物はすぐに報告しました。

ここから事件は始まり、生き残った若者は警察に逮捕され、起訴されました。彼の罪状は当初、死体を適切に報告せずに放置したことでしたが、事情聴取を重ねるうちに彼が人を食べたことが明らかになりました。

船長は死亡した乗組員の遺体を食べたことを認めるが、殺人は否定

裁判の中で、若者は正直に先に亡くなった船員の肉を食べたことを認めました。しかし、その肉を食べたのは飢えのためではなく、餓死した後に肉を食べたという声明は歪曲されていました。

彼が追われている時になぜ彼を殺さなければならなかったのかと悲しく呟いた場面もありました。彼は本当に何もできなかったと無力な様子で言い、その姿を信じなくてもあきらめるしかなかったようなものでした。

ひかりごけ事件の経緯とは?船長が食人に至るまで

では、彼が人を食べるという恐ろしい選択をするまでにどのような事情があったのでしょうか?具体的に何が起こったのでしょうか?

船長と2人の乗組員が遭難した「第五清進丸」

乗組員7人のうち、船長と1人の乗組員だけが奇跡的に生き延び、最後の力を振り絞って、かろうじて命の光を繋げることができた小屋を見つけました。その後、3人の遺体が見つかったが、残りの人々は未だ行方不明です。

2人の生存者も、冬の海に落ちた際に体温を失い、食料も少なかったため、十分に栄養を摂ることができず、次第に衰弱していきました。

陸地に上陸しても乗組員はおおよそ1ヶ月半後に餓死

やがて、船長はそれを乗り越え、乗組員たちは最後の息を引き取りました。氷の降りしきる場所でひとり取り残された彼の不安は計り知れなかったでしょう。だんだんと死に向かうことを感じる。

このままでは死んでしまうが、この状況でまともな食事ができないのは苦しいと悩んだ彼は、すぐそばに広義的に動物の肉と分類される物があるという事実に気づきました。

餓死した乗組員を食べて生き延びた船長

そこには倫理的な感覚と嫌悪感があったに違いありません。しかし、極限状態の不安、恐怖、飢えに置かれた彼は、最終的には亡くなった仲間の肉を食べるという選択肢を取ることになりました。

それは苦渋の選択であり、もし可能なら他の方法を考えたかったでしょう。しかし、生きるためには避けられない行為であり、後にこの行為は一般の人々によって厳しく非難されることとなりました。

ひかりごけ事件後!船長が受けた判決とは

彼が犯した行為に直接罰を与える法律は日本に存在しません。そんな状況下で司法はどのような判決を下したのでしょうか?

ひかりごけ事件の初公判は密室で行われた

この事件は当時報道されなかったため、初めは一般的な知名度はありませんでした。内容が軍事に関わるものであったため、政府や警察はできるだけ市民にこの事件を知られたくなかったため、公判の場所も秘密のうちに設けられました。

裁判では、法廷で人を食べることが善悪を決める法律は存在しないため、なぜ彼が人の体を傷つけることに至ったのかが論点となりました。状況が避けられなかったかどうかを審議し、後半は2回開かれました。

2審で船長に懲役1年の判決

彼は遺体の損壊により、懲役1年の刑を言い渡されました。この国の法廷で人肉を食べる行為に対して課されることができる唯一の罪状でした。

懲役刑が言い渡されたことは、遺体を食べた当時の状況が避けられなかったとは判断されなかったことを意味します。生きるためだったという船長の主張は受け入れられませんでした。

網走刑務所で服役した船長!模範囚で20日間の仮釈放を受ける

彼はこの事件についてかなり重い責任を感じ、率直に刑を受け入れました。元々悪い性格ではなく、彼は静かに刑務所での日々を過ごしました。そして、1年も経たないうちに元の生活に戻ることができました。

彼は大きな罪を自覚し、少しでも償いができればと日々模範的な生活を送っていました。それが認められたとされていますが、彼の心は抑えられたままでした。

「ひかりごけ事件」は仕方が無かった?それとも罪?

ひかりごけ事件は、戦争中に起こった極限状態での人肉食事件です。

日本の極北の地で起きたこの事件は、戦争の炎がまだ遠くにあったため、兵士たちとは違い、他人事として感じられたかもしれません。

船長は一般市民であった

ひかりごけ事件の船長は、軍需物資を輸送していましたが、一般の市民であり、後方地域は戦場ではありませんでした。したがって、許されることとされていた軍人による食人とは異なり、主な問題は懲罰の対象となってしまったことです。

戦場から遠く離れた場所で発生した

この事件が起きた時、日本はかなり不利な戦争を戦っていました。戦況が悪化する中で、通常の裁判などにはあまり余裕がなかったでしょう。しかし、この事件が発生したのは日本の極北の都道府県であり、まだまだ戦火は遠く離れていたはずです。

日本人特有の倫理的センス

戦時中、死者への哀悼の念がアメリカの軍人から見て特異な日本人の一面として言及されました。日本が戦時中に人を捨てたように扱っていたことが有名です。しかし、彼らは死者に対して非常に気を使っていました。

しかし、船長がなぜ人食い主義者になったのかは理解できない

この事件の後、彼はさまざまなインタビューで率直に答え続けました。その中で、かつて自分がパートナーだった人間を食べた理由がわからなくなったと語っています。これはつまり、なぜ彼らがそのように生きようとしたのかについての発言です。

船長は犯罪の重みを感じた!一年の禁錮刑では足りないと言い続けた

彼の生前を通じて、「死者の生前には人間としての尊厳が十分に欠けている」という思いが彼の心に重くのしかかりました。彼はまた、この犯罪はより重い罰を受けない限り贖われないとも語っていました。

ひかりごけ事件とウルグアイ空軍機571便遭難事故の関連性

ひかりごけ事件と同様に避けられない状況の中での人肉食が行われた事例として、ウルグアイ空軍機571便の墜落事故もあります。

この事件では、遭難した生存者たちが人肉を食べて生き延びました。

宗教と食人の難しい問題

世界中から救助を求める難破した人々に殺到した避難民たち。しかし、生き残りながら救助を呼び求めた彼らを待ち受けていたのは、生き延びるために行動を起こした人々への非情な言葉だった。特にキリスト教では、この行為は禁忌とされ、神の命令に背いた罪人のように彼らに向けられた言葉である。
この行為を実際に行った人々は罪悪感を抱きながらも、やむを得なかったし、一般人の声は彼らの心に深く突き刺さった。生き延びるしかなかったとしても、彼らは自分たちの行為に苦しんでいた。船長も同じように。
この事件からは、実際に死の瀬戸際に立ったことのない人々が必死に生き、その生存自体を後悔させる非情な言葉を吐き、それが世界中の人々の仕事であることをはっきりと見て取ることができる。そんな人々は自分たちが同じ立場に立つことなど考えたことがあるのだろうか?
生きるためには全てを肯定するわけではなく、すでに命を落とした人間の肉片の前で命やりとうに飢えた人間はどれだけの尊厳を見つけることができるのだろうか。

カトリック教会は犯罪ではないと発表

このような状況を真剣に受け止めた教会は、すぐに彼らが生き延びるために行った行為はやむを得なかったことであり、彼らは罪を犯していないという見解を公式に発表しました。キリスト教における食人禁止の考え方に反しているとされる文化領域ですら、それが犯罪ではないと主張しました。それなのに、宗教観のない日本はもっとそれを認めるべきだったのではないでしょうか。
この例を見ると、当時の日本の司法はおそらく船長の立場から考える余地が十分になかったのかもしれません。宗教がない日本ですら食人行為を否定した文化領域があることからも、船長の立場をもっと認めるべきだったと思います。

市民をスケープゴートにするための事件?陰謀論もささやかれる

後になって有名になったひかりごけ事件ですが、この事件は戦時中の食人行為から目をそらすために裁判が正当化された可能性もあります。

自分たちの身近な共通の人々によって行われた恐ろしい行為によって注目や同情、批判を集め、それを大きく取り上げることで、軍が行ったことを少しでも水増しする試みがあったのかもしれません。

ひかりごけ事件の船長の心の状態

彼はその立場から見て不当だともいえる判決を受けましたが、彼の内面にはどのような感情が渦巻いていたのでしょうか?彼の内面について掘り下げていきましょう。

船長が人肉を食べた感想!「こんなに美味しい肉を食べたことがない」

彼は肉を食べた感想について、「こんなに美味しかったことを経験したことがない」と答えたと言われています。普通なら罪悪感を感じるとしても、無神経とも受け取れる発言ですが、それは本当なのでしょうか?一般的に、人肉は強烈な臭いがあり、筋肉が多く存在するため、美味しいとは言えません。

ひかりごけ事件は本当に犯罪として訴えられるべきか

死者の生前の身体よりも、各人の命は軽いのでしょうか?彼が行った行為は犯罪なのでしょうか?この問題には正解がなく、この答えを否定することは生きることへの欲求自体を否定することに繋がるため、彼は生きるために必死の選択をしたのです。

緊急避難条項37条による警告は、裁判でも許されるかは議論の余地がある

当時も避けられない状況だったかどうかが議論の焦点となりました。結果としては認められなかったものの、現代では異なる結果になるかもしれません。当時の判事が具体的にどのように考え、この判決を下したのかは材料が失われてしまっているため、正確にはわかりません。

もし自分が船長だったら、あなたならどうする?

あなたが船長だった場合、どのような判断を下すか、どのように生きるかについて考えてみてください。ただし、どのような結論に至ろうとも、彼が生き延びるために行った行為を責めることはできません。この問いには正解がなく、この答えを否定することは生きる欲求そのものを否定することに繋がるからです。

ひかりごけという名前の由来となった小説「ひかりごけ」

先ほど紹介した通り、この事件の名前の由来は小説のタイトルです。では、この小説がどのようなものなのかを紹介していきます。

ひかりごけ事件の名前の由来は、1954年の武田泰淳の短編小説「ひかりごけ」

この小説は、船長にまつわる噂をベースにしたフィクションです。事実とは異なる部分も多く、この小説では船長が最終的に殺人を犯し、最初から食人が好きであるかのように描かれています。
実際にこの話から来た人物へのインタビューはないため、読む際には実際の事件とは別物として楽しむことにしましょう。

「ひかりごけ」という小説に基づいて描かれたことにより船長は名誉を損ねる

この小説が発表されたのは事件から約10年後でしたが、このことから事件の知名度が上がり、船長が殺人を犯し、人間を食べた可能性があるという噂が広まりました。

彼はそれに対する弁明を世間に対してすることができなかったため、心の中でどれだけの罪悪感と絶望があったのでしょうか? 生きるために行った行為が、どれだけ遠くへ行っても彼を苦しめ続けるという皮肉なものです。

「ひかりごけ」とは暗闇で光る苔

このタイトルは実際の苔の名前から取られています。物語では、罪人の背後にこの苔に似た光の輪が現れるという表現が使われています。犯罪の象徴とされるものの名前が事件の名前として有名になったことも、彼にとって恥ずべきことであるでしょう。

この作品を出版する前に、それが世界にどのような影響を与えるのかを考えるべきだったはずですが、そうしなかったために彼はこの作品という十字架を一生背負うことになりました。

さまざまなメディアでも注目を浴びたひかりごけ事件

実際の事件をベースにしているため、この作品は注目を浴び、さまざまなメディアで展開されました。いくつかの展開を紹介します。

1992年に熊井啓監督によって映画化された「ひかりごけ」

小説が出版されてから約40年後、映画が世界に公開されました。主演は、釣りバカ日誌などで有名な三國連太郎です。有名な俳優が起用されていることからも、この作品にいかに力を入れたかがわかります。それがこの事件が現在でも衝撃的である理由なのかもしれません。

この作品はかなり古いもので、約30年前の作品ですが、DVD化もされているため、興味がある方はぜひチェックしてみてください。

合田一道によるインタビューを元にしたノンフィクション作品もあります

ただ噂だけで書かれたフィクション小説だけでなく、事件に真摯に向き合い、じっくりと取材を行った作品もあります。著者合田一道はフラグメントの陳述をつなぎ合わせ、計3冊のノンフィクション作品を仕上げました。

著者が北海道出身であるため、土地の地理や事件の様子、実際の厳しい冬の状況をよく理解しており、一生を通じて批判され続けた船長の内面世界と苦悩に密着した作品となっています。現在も購入することができるので、この事件についてもっと知りたい方はぜひ読んでみてください。

オペラや舞台で描かれるひかりごけ事件

フィクション小説をベースとした舞台も上演されています。最近では2006年にも上演されました。この事件は現代でも人々の心を引きつける魅力を持っているのかもしれません。もともと小説は劇の形式で仕上げられているため、オリジナルストーリーの雰囲気をより忠実に楽しむことができます。

極限状況下で人々がどのような選択をするのか、もしそれが自分だったらどうするか考えるきっかけとして、舞台や映画に触れるのは良いアイデアです。

倫理的な観点が問われている

ひかりごけの小説が世に出たことで、事件に関わった彼は一生を苦しむことになりました。表現の自由は保障されるべきですが、人々の生活を困難にすることは許されることなのでしょうか?

「エンジニアの倫理」について疑問が投げかけられています

現代では、エンジニアが新しい技術を世に出す際には、それが世界にどのような影響を与えるのか考える必要があります。エンジニアは、それが誤用される可能性があるのか、人類にとって危険なのかを検証する責任があります。
これはエンジニアとしての自然な行為であり、もしもそれを無視して自分の発明によって人類に大きな不幸が訪れた場合、それはエンジニア自身の罪となり、彼に降りかかることになります。
何でも自由に発明することができますが、だからこそ、発明者自身が影響を考慮しないのであれば、人類は間違った方向に技術を進化させてしまうのです。それは運命を支配する可能性があることに、それぞれが責任を持たなければなりません。

発明者にこれが求められる理由は、過去に無責任な発明によって多くの危険な兵器が作られてしまったからです。過去にひどいミスを犯したとしても、それから学び、それを生かすことは素晴らしいことです。

ひかりごけ事件をわかりやすくまとめる!

ひかりごけ事件は、小説家が書いた作品が世に送り出されたことで始まり、その事件の加害者とされる若者に名誉棄損が生じました。小説家は、事件がまだ収束していない時点で当事者自身との確認もせず、噂だけで若者が殺人を犯したかのような作品を作り出しました。

もし実際の事件を元にしていた場合、少し考えればその小説が世に出たときに何が起こるか予測することができたでしょう。もしこの作品が売れなかったら、多くの人によって殺人犯だと噂されることなく、彼は一生を過ごすことができたかもしれません。

作家側がそれを考えなければならなかったとする意見もあるでしょうし、作り話を書く際はそんなことを気にする必要はないという意見もあるでしょう。正解は明言できませんが、小説を出版することが一人の人間の名誉を地に落とす結果を招いたことは事実です。

その責任は作家自身が負うべきものです。ただし、責任を取ると言っても、自分自身の命については誰も責任を取ることはできません。言い換えれば、無限の責任を生むような行為は避けない方がいいという考え方もあるかもしれません。

小説家に求められる「倫理」

表現の自由があるし、誰かに書くなと言えるわけではありません。しかし、だからこそ、作家はよく考え、作品の影響を考慮すべきだと私は思います。もしそのような倫理感を持つことが可能なら、小説家もそれを持つべきです。

この問いには正解がありませんが、この倫理感が必要かどうかを考えてみてください。

ひかりごけ事件:食人による初の判決

この事件では、生き延びるために友人たちを食べて生き延びたとして、犯罪行為として起訴され、世界から批判を浴びました。このような恐ろしく厳しい状況でどのような行動を取るべきか、真剣に考えさせられる事件です。

タブーを破った男性のセンセーショナルな側面は、小説や映画などの題材となりました。しかし、現実は単に「生きる」という自然な欲求に基づいて行動した一人の人間の物語です。彼の立場に身を置いた場合、自分ならどうするかを考えてみてください。

ひかりごけ事件:まとめ

ひかりごけ事件は、小説家が書いた作品が世に送り出されたことで始まり、その結果、加害者とされる若者の名誉が毀損されました。作家は、未解決の事件について当事者自身との確認もせず噂だけで殺人を犯したかのような作品を発表しました。

このような作品が世に出ることで起こる影響について考える必要があります。作家の倫理感が問われる一方で、作り話を書く際は何も気にする必要はないとする意見もあります。それぞれの答えは明確ではありませんが、小説を出版することが一人の人間の名誉を地に落とす結果を招いたことは確かです。

表現の自由があるからこそ、作家はよく考え、作品の影響を慎重に考慮すべきです。無限の責任を生むような行為は避けるべきだとも言えます。事件は生き延びるために友人たちを食べた男性を取り巻く物語であり、その行動に対して非難が浴びせられました。

この事件は、私たちがどのような行動を取るべきか真剣に考えさせられるものです。この事件の影響を受けて、小説や映画などが制作されましたが、現実は単に「生きる」という自然な欲求に基づく人々の物語です。この事件を通じて、自身が同じ立場に置かれた場合、自分ならどのように行動するかを考えることが重要です。

ひかりごけ事件は「検索してはいけない言葉」なの?

ネット上ではひかりごけ事件は「検索してはいけない言葉」であるという情報が多く見られます。

これはひかりごけ事件がグロテスクな食人事件で加工画像なども出回っておりトラウマ化する人が増えている為です。

しかし実際のひかりこけ事件は極限状態の下で生き抜く為の術を探した船長の苦労の物語であり、「検索してはいけない言葉」というレベルに至るグロさはありません。

ネット上で尾ひれがついて、船長が「こんなに美味い肉は食べたことがない!」「人肉を食べるのを辞められない!」などと、デマのような情報が拡散したことでひかりごけ事件は「検索してはいけない言葉」と言われるようになったのです。

PR
Insta-Read
タイトルとURLをコピーしました